楽天市場:お勧めの逸品
使うほどに味が出る本革トランクリーブス 人気モデル「サルサ」の最上級シリーズ リモワ サルサ デラックス 長期の旅行に最適な大型キャリーケース イーグルクリーク ORV
長期の旅行に最適な超大型キャリーケースイーグルクリーク 日本製!クラシカルなフォルムのハンドメイドトロリータイムボイジャー TVドラマや映画でも良く見る siffler(シフレ) ユーラシアトランク キャリーケース

2012年04月16日

お邪魔します!僕シーズー犬のジャッキーです。

僕が不機嫌になった原因は?

 今日の僕の日記は、昨日(15日)の記事です。
 丸亀市内の土器山へ連れて行って貰った時のお話です。
 良かったらご覧下さい。


 こんにちは、ジャッキーです。

 昨日の15日は僕はお留守番で、お母さん達は金比羅さん(本当は金刀比羅宮or琴平神社)の奥の院まで桜を観ながら山登りに行く予定でした。
 (本当は一昨日はお母さんが僕をお留守番させると言って)お母さんが僕がお留守番になるのが可哀想だと言って、急遽行き先を変更してくれました。

 日曜日の朝、行き先も教えられずに僕は拉致られて車に・・・。

 車が走り出して、
 「今日はどこへ連れて行って貰えるのかな?」
 僕は後ろの座席でキョロキョロとしながら考えていました。
 僕のベッドが載っていないし・・・僕のお水やお弁当も無いし・・・
 「お兄さんの所へは先週行ったし、お姉さんの所は先々週・・・お爺ちゃんのお墓参りは三週前だったから・・・??」
 僕は座席で座って首を傾げていました。

 僕が一生懸命に行き先を考えていると、車が停車したのです。
 「下ろして!」
 僕はちょっと早いなぁと思いましたが、用足しもせずに車に乗せて貰ったので、お散歩をさせて貰うつもりになりました。

 車から出るとそこは・・・・青野山(土器山)墓地公園でした。

 僕は遠くのお兄さんのお家かお姉さんのお家へ行けるものだと期待したのに、お婆ちゃんのお墓参りだなんて・・・。
 僕はブス!とした表情のままお婆ちゃんのお墓へ連れて行かれます。
 下ろされた墓の前で不機嫌なまま座っていると、
 「今日はどうしたの?お婆ちゃんのお墓の前で居て・・・。いつもはお婆ちゃんのお墓はこれと違う!って言いながら他のお墓の所へ行ってしまうのに・・。」
 と、お母さんが呟いています。
 僕はお婆ちゃんのお墓を探す元気もなくなって、不機嫌な顔で立ち上がり、ちょっとだけ移動して座り込みました。

s-201204151.jpg
お婆ちゃんのお隣のお墓の前で座る僕

 近くでお母さんがどこかのお墓を掃除してから、お花を献じて居ます。

 一通りの事が済むと、お父さんが僕を抱き上げて車に戻ります。

 「墓地公園の吉野桜は殆ど散ってしまいましたね?ボタン桜がもう少ししたら咲きそう!」
 お母さんが周りの木を見ながら言っていました。

 僕は行き先が期待していたところと違ったので不機嫌なままです。

 車はお家に帰らずに墓地公園が在る山を登り始めました。
 「山頂は桜が残っているかしら?」
 お母さんが期待した声でお父さんに話しています。
 僕は後ろの座席でブス!・・・・。

 暫く車に揺られて頂上の直ぐ下に在る駐車場へ。
 そこは多くのワンコの声が聞こえてきました。
 僕は下車拒否!!

 仕方なくお母さんとお父さん二人だけ車から降りて行きます。

 この青野山(土器山)は、昔の弥生時代から古墳時代の頃まで土器を作っていた山だそうです。
 ですから墓地の近くには登り窯跡の遺跡や古墳も幾つも点在しています。
 勿論、山頂周辺にも古墳が多く在るそうです。

 お父さんが書いた香川県高松市の屋嶋の屋嶋寺に祭られている太三郎狸をテーマにした歴史小説「屋嶋の禿げとその兄達」に描かれている舞台の一つがこの土器山です。

s-201204152.jpg
 これは城山の城(キヤマノキ)と云う古代韓国式山城が在った山です。これも「屋嶋の禿げとその兄達」に描かれている舞台の一つです。

s-201204153.jpg
 山頂駐車場の直ぐ下の桜です。

s-201204154.jpg
 飯野山(讃岐富士)で、これも「屋嶋の禿げとその兄達」に描かれている舞台の一つです。

s-201204155.jpg
 遠くに霞んでいますが、金比羅さんの在る山で、象頭山(ゾウズサンor大麻山)と云う山です。これも「屋嶋の禿げとその兄達」に描かれている舞台の一つです。

 場所を移動して瀬戸内海が見えるところへ。

s-201204156.jpg
 瀬戸大橋が霞んで見えています。

s-201204157.jpg
 ここは海上保安庁の「備讃瀬戸海上交通センター」です。
 タワーが建っていますが、これは「ゴールドタワー」と云う名前で最上階に展望台も在るそうです。
 そのタワーが突き刺さっている島が、塩飽水軍の本拠地「本島」です。

 ここ土器山は青ノ山(別称は土器山)標高224mで、青ノ山窯跡や青ノ山古墳群(古墳時代前期から末期にかけての古墳が10数基も確認されています)などが在って考古学的に貴重な遺跡群です。

 僕は不機嫌なまま車に居座っていました。

 車が再び動き出すと、暫くしてお家に戻ってしまいました。

 お昼ご飯も済んで、僕は自分のベッドでふて腐れていると・・・。
 お母さんのお兄さん家族(僕の叔父さん家族)が訪ねて来ました。
 いつもだったら、尻尾が千切れるほど喜んでお迎えをするのですが、この日だけは僕は不機嫌なままで叔父さん達を無視しています。

 「ジャッキーちゃんはどうしたの?」
 って言いますが、僕はふて腐れたままで居ました。
 叔父さん達はずっと話し掛けてくれましたが、僕は無視を守ります。

 結局、一度も相手をせずに叔父さん達はお家に帰って行きました。
 でも・・・従兄弟のパグ犬のバロン君に会いたかったなぁ〜〜と残念に思いました。

 今日はこれまでのように遠くへロングドライブだと思って喜んだのに、近くだったので面白くない一日になってしまいました。

代筆者:お父さん


こんな感じで僕の日記を更新しています。
 僕の日記は下記の僕のSeesaaのブログでご覧になれます。
亀山築城の仕事部屋(時々私の本の紹介)

 僕の日記は下記の僕のホームページでもご覧になれます。そして他の話題も載っています。
亀山築城の城

 そして僕の日記で使っていない写真はこちらからご覧下さい!
2012年 4月シーズーの愛犬ジャッキー写真集
posted by 某研究者 at 18:53| 東京 ☀| Comment(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月12日

廃仏毀釈運動の弊害に関する考察

廃仏毀釈運動の弊害に関する考察

神仏分離令(廃仏毀釈or排仏棄釈)運動をご存じですか?

「はじめに」
 明治新政府が慶応4年3月13日(←旧暦=1968年4月5日)に発した太政官布告(通称は神仏分離令、神仏判然令と呼ぶ)である。
 また、それ以後の明治3年1月3日(←旧暦=1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」に於いても、同様な廃仏毀釈運動が全国で起きた。

 
「問題点」
 最近ではイスラム教徒「タリバン」に依る、アフガニスタンのガンダーラ仏教遺跡バーミヤン渓谷の石仏と石窟の破壊を思い起こすことが出来る。
 それと同じような事が今から約百五十年前に日本でも起こった。

 江戸時代の住民管理(寺請制度)の手段として、門徒や檀家と呼ばれる集落単位での寺に依る監視で、寺社奉行から大きな権力が仏教寺院に与えられていた背景がある。

 このような背景と国学者の神仏習合に対する見解が、国家神道を純粋なものとするために仏教が邪魔になると考えた事が廃仏毀釈運動の由来の根本にもなっている。


「廃仏毀釈運動」
 明治維新当時、このように日本全国で仏教寺院が破壊され、仏像や石仏まで壊される事になった。

 この讃岐(香川県)の地、そして四国全島でも同様な事態が起き、四国八十八カ所の札所の形態も大きく様変わりすることになる。
 それは現在神社になっている建物が本来の四国八十八カ所の札所であり、この廃仏毀釈運動に依って仏教寺院から神社に衣替えをした結果である。
 例えば第13番札所の大日寺は一宮神社が本来の札所でありながら、寺院を廃したために明治末に新たな第13番札所として現在の伽藍が建てられることになる。
 同様な事は四国各県で起こり、この香川県でも観音寺の琴弾山の琴弾八幡宮が本来の第68番札所であったが、神社になったため第69番札所の観音寺に併設されることになった。このため、一ケ寺二札所としてユニークな札所になっている。

 ところで金比羅さんをご存じでしょうか?
 金比羅とは仏教の守護神の一人で「天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅」の事であり、日本神道の神ではない。
 本来は松尾寺の一角に建てられた金毘羅を祭った小さな祠が、民衆の信心を集めて本家の寺より大きくなった真言宗の象頭山松尾寺金光院が「金比羅さん」である。

 この金毘羅さんも上記の廃仏毀釈運動の渦中に投げ込まれ、当時の別当は金比羅さんを神社にすることを選んだ。
 その結果、護法善神金毘羅はその社から追放されて、その代わりの祭神が「大物主神」に変更される。
 大物主神は出雲の大国主神(大穴持)の和魂(にきみたま≒別名)で、日本神道の有名な神である。
 このように日本全国から参拝客が訪れる「金比羅さん」は既に無く、まるっきり関連のない日本神道の神社として「金刀比羅宮(ことひらぐう)or琴平神社」に知らずに参拝していることになった。

 蛇足ながら、琴平町には前述の松尾寺も存在し、徳島には本来の金比羅さんの奥の院「箸蔵寺」が金比羅大権現を捧持している。


「むすび」
 今回は廃仏毀釈運動から日本の神仏習合に関して考察してみたが、これを各地域で掘り下げて見ると、民俗性の違いが見られる。
 現に私の嫁の実家では神仏習合以前の古い形式の風習が見られ、興味深い。

 話を廃仏毀釈運動に戻すと、一時の反発心などから多くの寺院の仏閣、仏教芸術といえる仏像や石仏などが破壊された事は取り返しの効かない破壊行為と言える。
 先に述べたバーミヤンの大石仏の爆破のように、失われた物は大いなる人類の宝であった。
 宗教が違った事から世界中で憎み合い、抗争や破壊などで大切な生命や遺産が破壊されるのを止めなければならないと思う。
 カトリック教徒の私に関して云えば、南米のインカ文明を破壊したカトリック教会も同様に反省をしなければならないと考える。


【送料無料】四国八十八カ所歩き遍路のはじめ方改訂2版

CDブック御詠歌でめぐる四国八十八カ所/下西忠
posted by 某研究者 at 16:31| 東京 ☀| Comment(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月10日

西日本の両墓制に関する考察

西日本の両墓制に関する考察


「はじめに」
ふと私が子供の頃の事を思い出し、母の実家へ行った折りに連れられた所に、「埋め墓」と称する両墓制の片方の墓が在った。

西日本で特に近畿地方、瀬戸内海の塩飽諸島などで多く見られた「両墓制」・・・現在ではその墓制習俗が廃れてしまって一部の地域だけで残っている。


「問題点」
本来の日本人独特の「穢れ」、「祟り」などの思想的な背景から、遺体埋葬地と死者供養の墓地(墓標)を分けていた習俗だった。
しかし土葬や追葬の葬制から火葬に変化した現在、遺体の汚れは火葬の火で浄化されたと考える事で、埋葬地と墓標とが一致し一般的な墓地として広く広がったものと考えられる。

この両墓制の墓制習俗を、如何に評価するかが今後の課題になると思われる。


「両墓制」
1;埋め墓  
遺体を埋葬する墓で、この埋葬地には簡単な石塔、卒塔婆、自然の木などを目印に遺体を埋葬し、埋葬以後はその地に立ち入る事は無い。

2;詣り墓
全国的に見る事が出来る墓で、石塔や角塔墓、笠塔婆などが建てられるが、遺体の骨などが墓石内に埋葬されていない。

両墓制にはいろいろなパターンが有るが、私が確認した範囲の香川県西部の山間地の習俗では、神社の裏山の谷にその「埋め墓」が在り、詣り墓は集落の近くの墓地に建てられ、どちらかと言うと石塔が近接した状態で並んでいる。

また塩飽諸島の島々では、海岸や山など集落から離れた所に埋め墓、集落の近く若しくは寺の近くに詣り墓が建てられている。

中でも特徴的な両墓制の墓制習俗を見る事が出来るのが、高見島、志々島などで埋め墓を「霊屋」と云われる小さな建家で覆っている。
佐柳島は霊屋を建てずに、木で出来た人形を立てているのを見る事が出来る。

ここで同じ香川県なのに陸上部と塩飽諸島では両墓制の墓制習俗に違いが見られる事である。
これは、水軍としての強い習俗が、陸地の習俗に混じらずに独自の習俗として残ったものと考えるのが妥当と判断出来る。


「むすび」
この様な墓制一つでも地域的な習俗の違いを見る事が出来る。

特に葬儀儀礼は、古代弥生時代・古墳時代の「殯(もがり)」が地域ごとに変化して残っている。
いわゆる「通夜」は、この「殯(もがり)」が短縮した形として残った習俗で、沖縄地方の洗骨し改葬する習俗は「殯(もがり)」そのものに近い。
しかし、大化の改新以後の「薄葬令」に依って「殯(もがり)」は簡素化される運命にあった。

それ以後の仏教的な思想に伴って、日本人の「死生観」が変化し死者への恐れが弱まってきたのも原因の一つとして考えられる。

上記のような歴史的な変遷から、大和朝廷支配下の地域や独自の習俗を持った地域では墓制制度に地域的な変化が見られ、火葬儀式が普及するまで両墓制が残った地域が在ったのではないか。

今回は両墓制を元に我々の習俗を分析したが、他の習俗を解析する事で日本人像をもっと詳しく見る事が出来ると感じる。
ラベル:埋め墓
posted by 某研究者 at 16:35| 東京 ☀| Comment(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月16日

バリ島の民俗音楽 ガムランをご紹介致します。

バリ島の民俗音楽 ガムランをご紹介致します。

ガムラン熱が収まりません。
今回はガムラン楽器の演奏がよく判る映像を出来るだけ選ぶように致しました。
無粋な説明は出来るだけ避け、必要最低限の説明に留めようと思って居ます。


Bali - Gamelan Angklung Musik

最初に踊りの直後に映っている中央が高くなっている壺型の金属性の楽器が、ゴングと呼びます。これは台の上に8個から11個くらいのゴングを並べて演奏します。一人で演奏するのを「トロンポロン」、4人で演奏するのを「レヨン」と呼びます。
次に映っているのが、箱の両端に金色の飾りが付いた楽器が「グンデル」です。これは前回説明致しておりますので、今回は省きます。
演奏の途中で笛の演奏が始まります。「スリン」と云う名の笛です。
タイトルの「Gamelan Angklung Musik=ガムラン・アンクルン・音楽」は、古来のバリの演奏形式を指しますが、アンクルンは竹製の楽器の名前です。この映像の終わり頃に登場する多人数での演奏がアンクルンです。それぞれ発音機構と共鳴胴部分を持った竹製の楽器で、この様に演奏する為には、各音階のアンクルンを多人数で、楽器を揺らす事で演奏します。


Gamelan gong kebyar

この映像はゴングの演奏映像が良く映っていますのでご覧下さい。
先の映像で説明致しましたゴングで、四人で演奏しているタイプの楽器ですから「レヨン」になります。この様に和音奏の演奏になります。


Balinese Gamelan Music

バリらしい演奏風景ですね?誰かが夕方に演奏始めると、次第にどこからともなく村人が集まって来て、自分のパートの楽器の演奏を始めます。ノンビリとした生活の中の楽しみになっているのだと思います。子供の声や、犬の吠える声も混ざって独特な感じがしませんか?
今回の映像はグンデルが良く映っていますので、その説明を。
この楽器は大中小と三種類の楽器になっています。小さいのが「プニャチャ」、中くらいの大きさの楽器が「ジュブラ」、そして一番大きいのが「ジュゴガン」と呼びます。このグンデルは基本的に調律をずらした二個の楽器が一組として演奏されています。

今回はここまでに致します。出来れば次回も更新させて戴きますので、お楽しみに。

下記の私のHPに、前回の音楽データも纏めて記載致しております。
下記のリンクよりお越し下さい。
世界の民俗音楽のご案内ページを更新致しました。今回は神秘の島「バリ島のガムラン音楽」です。
「世界の民俗音楽のご案内」からお入り下さい。
世界の民俗音楽のご案内

ラベル:バリ,ガムラン
posted by 某研究者 at 13:05| 東京 ☁| Comment(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月14日

バリ島の民俗音楽 ガムランをご紹介致します。

バリ島の民俗音楽 ガムランをご紹介致します。

実はこのガムランを皆様にご案内するつもりはありませんでした。
或るブロ友の方が、浜松の音楽博物館の記事を公開されていて、ガムランの楽器「グンデル」や「ガンサ」、「トロンポンorレヨン」などの写真を、今朝拝見させて戴き、忘れ掛かっていたガムラン熱に火が付いてしまったのです。
バリ島は民俗学的に、古代インドのカースト制度や叙事詩「ラーマーヤナ」、ヒンズー教などが色濃く残り、その風習は他の地域にも影響を与えています。
小さな島ですが、大昔は百近くの国に別れ、それぞれが個別に文化を発展させていました。今もなお、その国だった頃の風習が残り、各地の元は王国だった町(村)には、王族の子孫と宮殿が残っています。
これらの町では、王立音楽団や舞踏団が編成されていて、現在も活発に活動している地域もあります。中でもウブドの町は活発な音楽活動や芸術活動が盛んな事でも有名です。
日本人にも人気の観光地ですが、民俗学的に興味深い土地ですので、一度いらっしゃられては如何でしょうか?

最初に楽器の説明を致しておきます。
最初のデータに映っている舞台の左右に箱の様な物を木槌で叩いて居る真鍮製の楽器が、「グンデル」と云い、主に主旋律を奏でる楽器です。箱は共鳴胴です。
お気づきになられると思いますが、左右のこの楽器の調律はわざとずらしてあり、うなりを生じるように作られています。また、片方の打鐘のタイミングを微妙に遅らせる事に依って、音が瞬間的に移動するような演奏もしています。高く調律したグンデルを「プギセップ」と云い、低めに調律したグンデルを「プグンパン」と呼びます。この様な機構の楽器なので、甘美な音色を奏でる事が出来るのです。
甲高い音は、グンデルに共鳴胴を取り去った真鍮製の楽器で「ガンサ」と云います。
それから時々聞こえるゴーンと鐘のような響きは、「ゴング」と云う真鍮の壺型の鐘です。
グンデルの内側に在るのが、「クンダン」と云う太鼓。
笛の音が聞こえてきますが、笛の名は「スリン」、良い響きの音です。



バリ島 ウブド ガムラン スマララティ 1 Bali ubud Gamelan

この曲はバリ島のウブドと云う町のガムランです。
如何ですか?神秘的な響き、幽玄な感じの踊り・・・。バリでは日没からこの様な演奏が夜明け前まで続けられていました。これは観光客の為の演奏ですが・・・・。


ケチャ・ダンス 怒涛のオープニング

これは、バリ島で一番の信仰を集めている有名な「ウルワトゥ寺院」での「ケチャ・ダンス」です。
お聴きになられたように、男性ばかりが円陣を組んで「チャ・チャ」と歌いながら踊るダンスです。それから座ったままで歌と踊りが続きます。

申し訳ありませんが、この続きは下記の私のHPに記載致しております。
下記のリンクよりお越し下さい。
世界の民俗音楽のご案内ページを新たに作成致しました。
今回は神秘の島「バリ島のガムラン音楽」です。
「世界の民俗音楽のご案内」からお入り下さい。→世界の民俗音楽のご案内
ラベル:バリ,ガムラン
posted by 某研究者 at 15:15| 東京 ☁| Comment(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月02日

(再掲載記事)紫雲出山の写真集をHPに掲載致しました。

(再掲載記事)紫雲出山の写真集をHPに掲載致しました。

先日ブログで小さな一枚だけの写真で御紹介させて頂いた香川県三豊市詫間町の荘内半島に在る「紫雲出山」の写真集を私のホームページにアップ致しております。
今回別のホームページに新しくページを作りましたので、是非とも御覧下さい。

この紫雲出山の頂上には、弥生時代中期の高地性集落の遺跡があります。
また瀬戸内海に突き出したような半島の山ですので、東西に広がる瀬戸内海の景色が綺麗に見えます。

どうぞ下記のリンクからお越し下さい。

21世紀の浦島太郎の旅行記

私の小説の舞台:紫雲出山
こちらのホームページは、時々サーバーの調子が悪くなって、写真が一部表示されない事があります。ページを再読み込みをして頂ければ表示できますので宜しくお願い致します。



新たにYahoo!ジオシティーズの無料ホームページでも、記載致しました。ここはホームページの容量の関係で、大きな写真を多用できません。上記のホームページよりも小さな写真ですが、どうぞ御覧下さい。

亀山築城の愛犬日記 parts 2

紫雲出山からの風景
また、こちらはスムースに写真がすべて表示されますので、ストレスを感じることなく御覧になれます。是非ともお越し下さい。ただ他のホームページより小さな写真になります。



今回新しく作成したホームページです。こちらはYahoo!ゲオシティーズの有料ホームページです。

亀山築城の愛犬日記

紫雲出山
こちらの写真はHPの容量の関係で、上記の21世紀の浦島太郎の旅行記と同じ大きさの写真になっております。
また、こちらはスムースに写真がすべて表示されますので、ストレスを感じることなく御覧になれます。是非ともお越し下さい。
posted by 某研究者 at 17:18| 東京 ☔| Comment(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月01日

紫雲出山の写真集をHPに掲載致しました

紫雲出山の写真集をHPに掲載致しました。

先日ブログで小さな一枚だけの写真で御紹介させて頂いた香川県三豊市詫間町の荘内半島に在る「紫雲出山」の写真集を私のホームページにアップ致しております。
今回別のホームページに新しくページを作りましたので、是非とも御覧下さい。

この紫雲出山の頂上には、弥生時代中期の高地性集落の遺跡があります。
また瀬戸内海に突き出したような半島の山ですので、東西に広がる瀬戸内海の景色が綺麗に見えます。

どうぞ下記のリンクからお越し下さい。

21世紀の浦島太郎の旅行記

私の小説の舞台:紫雲出山
こちらのホームページは、時々サーバーの調子が悪くなって、写真が一部表示されない事があります。ページを再読み込みをして頂ければ表示できますので宜しくお願い致します。



新たにYahoo!ジオシティーズの無料ホームページでも、記載致しました。ここはホームページの容量の関係で、大きな写真を多用できません。上記のホームページよりも小さな写真ですが、どうぞ御覧下さい。

亀山築城の愛犬日記 parts 2

紫雲出山からの風景
また、こちらはスムースに写真がすべて表示されますので、ストレスを感じることなく御覧になれます。是非ともお越し下さい。ただ他のホームページより小さな写真になります。



今回新しく作成したホームページです。こちらはYahoo!ゲオシティーズの有料ホームページです。

亀山築城の愛犬日記

紫雲出山
こちらの写真はHPの容量の関係で、上記の21世紀の浦島太郎の旅行記と同じ大きさの写真になっております。
また、こちらはスムースに写真がすべて表示されますので、ストレスを感じることなく御覧になれます。是非ともお越し下さい。
posted by 某研究者 at 21:16| 東京 ☀| Comment(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月03日

紫雲出山の写真集をHPに掲載致しました。

紫雲出山の写真集をHPに掲載致しました。

先日ブログで小さな一枚だけの写真で御紹介させて頂いた香川県三豊市詫間町の荘内半島に在る「紫雲出山」の写真集を私のホームページにアップ致しております。

この紫雲出山の頂上には、弥生時代中期の高地性集落の遺跡があります。
また瀬戸内海に突き出したような半島の山ですので、東西に広がる瀬戸内海の景色が綺麗に見えます。

どうぞ下記のリンクからお越し下さい。

21世紀の浦島太郎の旅行記

私の小説の舞台:紫雲出山
posted by 某研究者 at 12:05| 東京 ☀| Comment(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

余市町の考古学的遺跡

前回のブログ記事では、次回は洞爺湖の案内と書きましたが、大事な事を忘れていました。
実際に何回も行こうとしたのですが、果たせなかった未練の残る所です。
それは余市町栄町に在るフゴッペ洞窟です。この洞窟は続縄文時代後期(約1600〜1300年前)の古代人が彫った岩壁彫刻、炉跡等が見られる貴重な考古学的遺跡です。JR函館本線の線路沿いに在って、何回も指を銜えて通り過ぎました。車でも何回か行ったのですが、休館していて叶わずに帰ったことも在ります。
実際に行っていませんので、事前の知識だけで書き込むことには抵抗がありますので、国指定史跡重要文化財:フゴッペ洞窟のHPのアドレスを下記に示しておきますので、是非とも御覧戴ければと思います。
http://www3.ocn.ne.jp/~yoiti/fugoppe.html
このHPの一番下に、生活様子をご覧頂けるジオラマのお部屋と云うジオラマの写真が在りますが、「海は現在の海岸線よりず〜と近かったのですね。」とだけ書いていて、その説明が在りません。
その事について簡単に説明致しておきます。これは縄文海進と云って、縄文時代に日本で発生した海水面の上昇のことです。海面が今より3〜5メートル高かったと言われ、縄文時代前期の約6000年前にピークを迎えたとされています。平野部では場所によっては、100kmも海岸線が現在の内陸部にありました。
それから、このフゴッペ洞窟の近くに、西崎山環状列石が在ります。
ここも、HPのアドレスを示しておきます。
http://www.shiribeshi-i.net/marugoto/tourist/item/1550
をご覧下さい。
この様に余市町は以前から興味が尽きない町で、その町に出張で行けたことを喜んでいたのですが、今回の出張では期待はずれになってしまったのでした。

電子書籍出版社のでじたる書房さんのお世話で、下記の書籍を電子ブックで販売致しております。リンクを辿って下さったら、私の著作のページにジャンプ出来ます。お待ち致しております。リンク先で本の説明を致しております。
電子書籍・電子出版エージェントのでじたる書房


僕たちを判って! リンク:   浦島太郎って誰? 上  リンク:

僕たちを判って!         浦島太郎って誰? 上

hyoushi bokutachi.jpgurashima-hyoushi.jpg













posted by 某研究者 at 19:40| Comment(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。