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2013年03月04日

この様な生活スタイルは如何ですか?(その1)

起きて半畳寝て一畳(その1)

表題は、大昔に禅寺の老師から教わったことわざです。

出典は「韓詩外伝」らしいですが、禅僧が住まう修行道場の禅堂では、その修行の座がそのまま座禅の場であって、そこで就寝すると教えられました。

つまり、禅道場では畳一枚が自分の居場所として与えられ、そこで寝て、食事をし、座禅を組む。一日がその畳の上で過ぎていくのです。
カトリック教徒ですが、学生の頃から座禅を良く組んでいました。私の学生当時からカトリック教会と禅宗とは仲が良かったので、日本各地にカトリック禅センターが作られ、教会の中でも座禅が流行っていたのを思い出します。

曹洞宗の永平寺の管長がお亡くなりになった時、当時のカトリックの京都教区長の田中健一司教に「カトリック司教の盛装で葬儀に参列して貰いたい」と要請があったそうです。その司教は神父だった頃に私の指導司祭(神父)だった人です。

また永平寺だったと思いますが、ドイツのベネディクト会の修道士(ブラザー)が来日して、一緒に声明を唱えたり修行をしたりしていました。

そして今度は永平寺の修行僧がドイツのベネディクト会の修道院を尋ね、そこで修道生活を体験したとの事です。
その時の事、
「カトリック修道会は美味しいご馳走を毎日食べているのですね?我々は粗末な食事なのに・・・。」
と禅僧が呟いたそうです。
それを聴いたブラザーが、
「私たちは一生この修道院から出ずに、ここで生涯を閉じます。そしてこの食事は一年中変わる事がありません。」
と答えたそうです。
すると、
「私たちは修行の時だけ禅道場(禅寺)で修行し、その後は自分の寺に戻るのに、一生ここで!!!」
と絶句したと私は聞いています。


参考になるかどうか判りませんが、イエズス会司祭「フーゴ・ラッサール」に関するページをご覧下さい。
「カトリック禅」の提唱者の司祭=神父で、日本だけでなく全世界のカトリックに座禅を組むことを提唱した司祭です。


studyroom01-s.jpg
さて現在の私は、写真のように「起きて一畳半、寝て一畳」の生活です。
実際に病で臥せっていたためにずっと「寝て一畳」でしたが・・・。
健康な時でも、この場から離れる事が少なく「起きて一畳半、寝て一畳」の生活です。
流石にここで食事をすることは有りませんが、殆ど一日がここで過ぎ去って行きます。
奥の黒っぽい物は・・・学生の頃からの変わらぬ寝袋で・・・私は寝袋で寝る習慣です。


studyroom02-s.jpg
以前はこの自宅の二階に在る二畳の書斎兼研究室兼実験室で一日を過ごし、そこで寝る事は有りませんでしたが「起きて二畳寝て一畳」生活でした。
ですからこの頃より、より一層「起きて半畳寝て一畳」に近付いたのでは?と思って居ます。
現在は研究費が底をついてしまったので、新たな実験器具を購入出来ず実験が続行出来なくなり、ここ「書斎兼研究室兼実験室」を使っていません。
ここには実験機器や測定器を設置しています。他にはデスクトップ・ノートパソコンなどが十台ほど居座って居ますが、それぞれの設定が違うので、実験の制御やデータ処理にしか使えないパソコンばかりです。


studyroom03-s.jpg
ここは三階の書斎兼データ解析コーナーです。
長期間の計算の為にここではデスクトップしか稼動していません。ノートパソコンでは熱暴走してしまいますので・・・。


studyroom04-s.jpg
やっとまともな書斎らしいところが三階のここです。
ご存知のようにソフト(アプリケーション)は、各OSの仕様に依って動作出来るかどうかが決まります。
このパソコンはWindows3.1で動作し、基本的にDosのソフトを動作させています。
ですから、一台のパソコンがデータ解析計算に入ると、そのリソースを使い切るような計算をさせますので、他の処理が出来ません。
そこで一台・二台・三台と増え続け、以前は六十台を少し切り、現在は四十数台が稼動する状況です。


201303022-s.jpg
小説執筆は、このパソコンの前に座って創作しています。
ラベル:
posted by 某研究者 at 09:37| 東京 ☀| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月20日

長い間のご無沙汰

長い間のご無沙汰

長い間のご無沙汰です。
昨日この記事を書き上げましたが、更新出来ずじまいでした。
今日は午前中また調子が悪くなり、先ほどから気分がちょっと良いようなので「プチ復活」です。

研究所勤務時代から「歩く成人病」と呼ばれて居た私・・・。
産業医からは「電離放射線健康診断」の診断項目とは関係が無いのに、
「今度ばかりは、線源(装置や放射性物質)に近付く事を許可する診断書が書けませんよ!」
って良く脅されていました。

管理区域に入れない=研究活動が出来ない=この分野の研究者として失格・・・・。

まぁ、管理区域の中で倒れていても誰も気が付く事が無いし・・・その時は私の寿命はそこまで・・・と考えながら研究に従事していました。

奇しくも、長男も私と同じように電離放射線健康診断が必要な研究所に勤務・・・。
長男の場合は、全世界に三箇所しかない大型放射光施設なので、研究分野が少し違っていますが・・・。
同じ研究者として、本当に羨む研究所です。(仮にその研究所に私が勤務しても何の役にも立ちませんが・・・)


今回は私の生命維持の頼みの綱「フランドールテープ」が殆ど効かず、ずっと臥せっているしかありませんでした。

twitterなどは自動でbotが呟いて呉れていますので、twitterのフォロワーの方たちはきっと誰も私がダウンしている事に気が付いて居ないと思います。
しかし、ブログもホームページも放置状態・・・。

愛犬ジャッキーは優秀な看護師として、ずっと私に付いて呉れていました。
発作が起きて苦しんでいる時、
「お父さん!お庭へ出して!」(ジャッキー)
「・・・ん・・ジャッキー・・後に・・して・・・」(私)
「じゃあ、お父さん、ここで○○○○しても良いの?」(ジャッキー)

また、自分の空の食器をひっくり返して、
「お父さんご飯が無いから頂戴!!」(ジャッキー)
「・・・ZZZ・・・」(私)
「まさか?寝ているの?お父さん!起きろ!!!」(ジャッキー)
ジャッキー得意の「両手叩き攻撃」で、顔面叩き敢行・・・。

でも・・・そんなジャッキーのお陰で、精神的に救われています。

さて、自分の発意研究も、研究費調達のための小説創作も出来ない状況に陥った私は・・・。
この様な時にしか出来ない映画鑑賞や音楽鑑賞を・・・。

嫁はんが仕事から帰って来て、私の書斎兼研究室兼実験室兼寝室を覗き込みます。
素直に病人らしく私が大人しく鑑賞しているのに・・・どう云う訳か激怒!!

それからは隠れて映画や音楽を鑑賞する事に。

実際には映像機器を操作するにも不便になって居たので、ベッドの布団の中にiPhoneを隠して鑑賞する事に。

ダークダックスの曲などを良く聴いていました。
ダークダックス「シャロームの歌」を久し振りに聴いて、
「学生の頃は、この原曲をヘブライ語で唄っていたなぁ・・・」
と懐かしく思っていたり、
中国の現代バレエ「白毛女」の「北風吹」を、そのバレエではなくコンサートで劉亦菲(Liu Yifei)が唄っているのを聴いてから大ファンになって居ますので、
四大名捕
などの彼女が主演?する映画を総舐めしてしまいました。
ただ・・・中国語を忘れかかって居るのか、それとも体調が悪いからなのか・・・
台詞を聴いて部分的にしか判るだけなので、中国語の字幕とその下に在る英語の字幕を見なければならない始末・・。
我ながら不甲斐ないと感じていました。

昨日は起きてから「宗次朗」のオカリナ曲を聴いていました。
今日は朝方から調子が悪くなり、先ほどまで・・・。
現在はジブリのアニメ音楽を聴いています。

また長い沈黙に入るかもしれませんが・・・シーズーの愛犬ジャッキーは相変わらず元気にしています。
posted by 某研究者 at 17:45| 東京 ☀| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月21日

「パイプ・オルガンの調べ 2」へのお誘い

パイプ・オルガンの調べ 2

相変わらず臥せっていますが、ゆっくりと大好きな音楽を聴き続けて居ます。

前回はドイツの盲目のオルガニスト「ヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha)」を紹介させて戴きましたが、今回はフランスの女流オルガニスト「マリー=クレール・アラン(Marie-Claire Alain)」を紹介させて戴きます。

彼女はたぶん現役のオルガニストで、バッハのオルガン曲全集を三回も制作した実績があり、レコードやCDの録音点数が史上最多数のオルガニストです。
また演奏会に楽譜を持たずに行って、楽譜無しで演奏出来るほどの記憶力の持ち主としても有名です。


ドイツらしい「ヘルムート・ヴァルヒャ」の演奏と、フランスらしい「マリー=クレール・アラン」の演奏を聴き比べて戴く為に前回と同じ曲をyoutubeで検索してみます。

是非お聴き比べなさってください。



どなたでもご存じの「トッカータとフーガニ短調」です。
Marie-Claire Alain - JSBach - TOCCATA AND FUGUE In D Minor BWV 565

トッカータとフーガ ニ短調(ドリア調)
Marie-Claire Alain - JSBach - TOCCATA AND FUGUE BWV 538

トッカータとフーガ ヘ長調 1
Marie-Claire Alain - JSBach - TOCCATA AND FUGUE BWV 540 - 1

トッカータとフーガ ヘ長調 2
Marie-Claire Alain - JSBach - TOCCATA AND FUGUE BWV 540 - 2

トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 1
Marie-Claire Alain - JSBach - TOCCATA, Adagio and Fugue in C major, BWV564 - 1

トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 2
Marie-Claire Alain - JSBach - TOCCATA, Adagio and Fugue in C major, BWV564 - 2

フーガ ト短調 (小フーガ)
Marie-Claire Alain - JSBach - FUGUE G-minor "Little", BWV 578

パッサカリアとフーガ ハ短調
Marie-Claire Alain - JSBach - Passacaglia & Fugue C-minor, BWV 582


コラール前奏曲「Wachet Auf = 目覚めよ」(目覚めよと呼ぶ声が聞こえ)
Marie-Claire Alain - JSBach - Wachet Auf, BWV 645




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posted by 某研究者 at 12:40| 東京 ☁| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月19日

この音楽をお聴きになられた事は御座いますか?

この音楽をお聴きになられた事は御座いますか?

ここ数日、調子を崩して臥せっています。
こんな時は、ゆっくりと大好きな音楽を聴ける時間です!!

声楽を個人授業されていた私は、高校生の頃からバロック期のバッハを飛び越えて、ルネッサンス期も潜り抜けて、四線譜の楽譜で書かれたグレゴリオ聖歌に取り憑かれてしまいました。
そしてネウマ譜が書かれている「Liber Usualis Missae et Officii」を手に入れると、完全にネウマ譜に狂いだしてしまったのです。
私が高校生当時の日本でのネウマ譜の権威は、立教大学の皆川達夫教授とエリザベス音楽大学の白鳥教授の両巨頭でした。
皆川達夫教授には数回、手紙でのご指導を戴いた事も有ります。

教授にご迷惑を掛けられない私の強力なネウマ譜研究の手助けとなったのが、下記のレコード会社でした。
後から説明致しますが、私は第一研究部門のレコードを貪るように購入し、また四線譜のネウマ譜が五線譜へと変遷するのを確認する為に、第四研究部門と第九研究部門のレコードも集中的に買い求めていました。


Deutsche Grammophon

Archiv
Archiv Produktion

ウィキペディアより;
ドイツ・グラモフォン(Deutsche Grammophon Gesellschaft)は、1898年12月にドイツ・ハノーファーで創設された、世界でもっとも長い歴史を持つクラシック音楽のレコードレーベルである。「イエロー・レーベル」と呼ばれている。



ドイツ・グラモフォンの中の専門レーベルとして、古楽研究者用のレーベルが「アルヒ−フ=Archiv」と呼ばれる12研究部門に分かれる古楽専門レーベルが在ります。


簡単に12研究部門の研究対象音楽をご紹介致します。

私が良く取り上げる「グレゴリオ聖歌」は、第一研究部門全体を占めています。

第四研究部門が「ルネッサンス期」の音楽で、パレストリ−ナなどの音楽家の作品を研究する部門です。

そして第九研究部門が「J.S.Bach」だけの専門分野で、バッハの作品を研究する為に活動しています。ですから第八・第十研究部門がバッハ以外のバロック期音楽研究のレーベルになります。

第十二研究部門は、モーツアルトとその時代の音楽が研究対象になっています。

残念な事に「ベートベン」は新しすぎて、アルヒ−フの研究対象には入っていません。

さて今回、皆様にご案内させて戴くのは、私が良くご案内致す「グレゴリオ聖歌」より、もっとご存じのない時代の音楽を是非とも聴いて戴こうと思います。
時代はフランスのパリのノートルダム大聖堂がまだ建設中の頃の音楽で、ノートルダムを拠点として興った「ノートルダム楽派」です。

記憶が定かでなく、レコードも紛失していますのではっきりと言えませんが、ノートルダム楽派などの研究部門は第二or三研究部門だったように思います。

ノートルダム楽派は「オルガヌム」と呼ばれる初期の複音律旋階(ポリフォニー)を発展させた音楽史上重要な楽派で、私の好きな曲も多くあります。それから云えば「第二研究部門」でしょうか?

ノートルダム楽派を代表する作曲家「レオニウス=Leoninus」の、中世の甘美な響きをお聴き下さい。
単音律(モノフォニー)から複音律(ポリフォニー)へ音楽が発展していく、その最初の甘露な響きです。
いつものように下記のyoutubeのリンクからお聴き下さい。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 Leoninus, Alfonso

 Leoninus (1150's-c.1201) Alleluya. Spiritus Sanctus

 Leoninus: Assumpta est Maria

 Leoninus (1150's-c.1201) Alleluya

 Leoninus 'Gaude Maria Virgo'


 

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2012年12月28日

NHK大河ドラマ「平清盛」から源氏と平氏の関係に関する考察

NHK大河ドラマ「平清盛」から
 源氏と平氏の関係に関する考察


NHK大河ドラマ「平清盛」が終わってしまいましたね。

今回は最初から最後まで兵庫県知事の横槍が入り、ドラマ以外に他事でも楽しめました。

しかし、あの当時の平安京はドラマ映像そのままに荒れ果てていましたし、武士集団も途中から甲冑などが豪華になりますが、最初はみすぼらしいあの様な出で立ちでした。


今回のドラマを観ていて感じた事を書き記したいと思います。

このドラマの中で、どうして源氏の武士達が
「たかが平氏なんぞに!」
と云う意味の言葉を言い続けたのか、そしてライバル心を燃え上がらせて居たのかを、作者の方は充分に説明が無かったように思っていました。

そして・・・・先日、嫁ハンと一緒に「平清盛」を観ている時に、何気なく
「源(みなもと)と名乗って居る、この武士団が全て同じ一族だと思って居るの?」
と聞いてみました。
「同じ一族じゃ無いの?」
と・・・・。

源氏(げんじ、みなもとうじ)とは、「源」を氏・本姓とする氏族を指します。
ここまでは嫁ハンの思っている内容と大差有りません。

さて、源氏の始まりは・・・第52代嵯峨天皇が生まれた子ら(皇子、王子)に、源姓を与えた事から始まりました。
つまり皇族が、皇族の身分を廃されて、天皇の臣下の籍に降りる「臣籍降下」の時に与えられる姓の一つが「源」になります。
他にも「平=平氏」、「藤原=藤原氏」、「橘=橘氏」の代表的な姓が、臣籍降下の時に賜られます。

ところで、この姓を賜れるのにはルールが有り、「一世王、二世王が源、三世以降が平」と云う規則で与えられていたようです。

つまり天皇の子や孫は「源」、天皇の孫以降の代は「平」の姓が賜る事から、「源氏」より「平氏」が格下と云う認識が生まれました。

そこで、上記の源氏の武士達の言葉、
「たかが平氏なんぞに!」
と云う台詞が聞こえる訳になります。

ところで歴史的に観ると、源氏は21の天皇の血筋から別れ、21流派の「源氏」が存在しています。

中でも一番格式の高い「源氏」は、第62代村上天皇を祖とする「村上源氏」です。
武門として有名なのは、第56代清和天皇を祖とする「清和源氏」になります。

それでは源頼朝(清和源氏)の系譜を。
第56代清和天皇
清和天皇 → 貞純親王 → 経基王=源経基 → 源満仲 → 三男・源頼信=河内源氏 →  → 源頼義 → 源義家 → 源義忠 → 源為義 → 源義朝 → 源頼朝
この様に清和天皇の経基王が「源頼朝」のご先祖様になります。

それでは「平清盛(高望王流桓武平氏)」は?
ドラマでは第72代白河天皇の子とされていますが・・・。
第50代桓武天皇
桓武天皇 → 葛原親王 → 高見王 → 高望王子=平高望 → 国香 → 国香の孫の維衡 → 伊勢平氏 → 平清盛
となります。

上記のように「清和源氏」は清和天皇の孫が源姓を与えられ、「高望王流桓武平氏」は桓武天皇の曾孫に平姓を与えられた事になります。

この様な構図から、源平合戦が起こる切っ掛けになったのかも知れませんね?


蛇足ながら、私も「源氏」の出です。
我が一族は、第59代宇多天皇を祖とする「宇多源氏」です。
この讃岐の国は「宇多源氏」にゆかりの多い土地で、丸亀藩主の山崎氏、京極氏も同じ宇多源氏の流派になります。
日露戦争の時に陸軍善通寺師団長だった「乃木希典」大将も、讃岐とは縁が有りませんが「杉田玄白」、「間宮林蔵」も同じ「宇多源氏」の出になります。

そして私がよく話題にする「菅原道真」は、讃岐の国司として赴任しただけでなく、宇多天皇に付き従い朝廷内を改革する先鋒として活躍していました。
しかし、宇多天皇が上皇になった途端、公卿達はあらぬ事から「菅原道真」を太宰府に左遷してしまいます。それを察知した宇多上皇が御所に駆け付けたのですが、時既に遅く宇多上皇は「菅原道真」を守る事が出来なかったと伝わっています。


ついでに・・・。
NHK大河ドラマ「平清盛」の話しに戻って。
執権北条氏は高望王流桓武平氏の流派で、平清盛と同じ血筋になります。
考えてみると最終的に源平合戦に勝ったのは、源氏の「源頼朝」ではなくて、後に鎌倉幕府を手にする高望王流桓武平氏である「北条執権」なのかも知れません。

ごく一部だけからでも、今回のNHK大河ドラマ「平清盛」見方が変わると思いますが、如何だったでしょうか?
posted by 某研究者 at 10:44| 東京 ☁| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月27日

もう幾つ寝ると・・・ハロウィーン!!


これからの季節は
・・・子供の頃を思い出します


十月・十一月・十二月そして正月・二月・三月と子供の頃は毎月が楽しみでした。

十月はもちろん「ハロウィーン」。
カトリック教会では11月1日を諸聖人の日(万聖節)として祝いますが、その前日の10月31日がハロウィーンになります。
最近は日本でも流行っているらしいので、皆様ももちろんご存知の事だと思います。
これはカトリック教会・イギリス国教会(聖公会)でもプロテスタント教会の行事でもありません。
元々はイギリスの先住民のケルト人の収穫感謝祭の祝いだったらしいです。
ケルト人は独特なキリスト教を持ち、そのままカトリック教会へ改宗しました。
そのような経緯から彼ら独自のお祝い(お祭り)が、諸聖人の日の前日の行事として世界に拡散していったものと思われます。

さて、私の幼児時期、そのハロウィーンは一番の楽しみの日でした。
その日は悪戯をしても怒られず、悪戯の引き換えにお菓子を貰えるからです。
頭からシーツ(古くなったシーツ)を被り、目の部分を開けてゴースト(幽霊)の格好をして、街中を「トリック・オア・トリート」と騒ぎながら走り回っていました。
そして家に押し入ると「トリック・オア・トリート」と騒ぎ、お菓子の袋を貰って駆け出していたものです。
今になって考えると、アメリカ人のミッショナリーが予めそれぞれの家にお菓子を配っていて、そうとも知らずに騒いではお菓子を貰っていたのか?と思ってしまいました。

そうそう、走り出す前に、ジャック・ランタンの前で「かぼちゃ大王」の英語の歌を歌って気勢を上げ、それから街中に繰り出していたのを記憶しています。
この時は多分・・・岩国からの海兵隊員も来ていたと思います。
真っ先に血祭りになったのが彼らですが、正確に英語を話せないと絶対にお菓子を貰えません。
そして子供の私には、悪戯を仕掛けても力では彼らに絶対に敵わなかったので、何とかお菓子をせしめようと必死になって英語でおしゃべりをしていました。

蛇足ながら、カトリック教会では11月1日「諸聖人の日」の次の日11月2日が「死者の日」と云って、仏教では「お盆」に相当する日になります。この日にカトリック教徒はお墓参りをする習慣です。因みにロシア正教から布教されて出来た日本正教は、日本の習慣に合わせて8月15日を「死者の日」としているそうです。

十一月・・・。それは11月の第4木曜日・・・・。そうです!「Thanksgiving Day(感謝祭)」です。
日本国内では七面鳥が手に入らないので、鶏の丸焼き・もしくは丸揚げを思いっきり食べる事が出来ました。
丸亀では「骨付き鳥」が有名ですが、もしかしたらアメリカ人のミッショナリーが料理していた方法を参考にして骨付き鳥を始めたのかな?と思っています。
そして食事の後の最大の楽しみが、鳥の肋骨を一本ずつ持って、U字形の骨をお互いに絡み合うようにして骨の端っこを引っ張り合います。
骨が折れたほうが負け!子供の時には、この遊びが本当に楽しく、今も思い出に残っています。

十二月は・・・当然の様にクリスマスですよね!
寝る前にベッドの端で跪いてお祈りをするのにも、いつもより力が入ってしまいます。
ベッドの横に吊り下げている靴下・・・・そればかりが気になってお祈りが終わりませんでした。
それなのにベッドに入ってしまうと・・・・翌朝までぐっすりと。
朝になって目が覚めたときの喜びは・・・皆様も良く体験なさっておられる事と思います。

正月・・・。
日本人ですから、「お年玉」が最大の関心事!!
そして我が家で催す「カルタ大会」。
近所の子供たちや青年たちも集って、父が詠む百人一首の短歌に集中していました。
それから讃岐の国独特の「白味噌仕立ての餡入り餅の雑煮」。(田舎では醤油仕立ての雑煮もあるらしいですが・・。)
そして畳三畳ほどの大きさの凧揚げ・・・。
杭に凧の糸を括り付けていないと人間が持って行かれそうになります。実際に子供の私は20mほど引っ張られた事がありました。

二月は・・・。
女の子から貰えるチョコレート!
幼い頃から米国風にレディーファーストを教え込まれていたので、女子には優しくしていた関係でとても人気者でした。逆に男子からは目の敵に・・・。
三月にお返しは?・・・していなかったように・・・・。
蛇足ながら今も嫁ハンが車に乗る時はドアを開けますし、色んなところではエスコートしています。

三月は・・・。
やはり日本人ですから、お雛様の節句にお呼ばれ・・・。
何故かいつもより緊張して女の子の家に呼ばれたのを記憶しています。

四月は私の誕生月で、他には丸亀城での花見。

五月は男の子の節句。

考えてみると子供の頃は毎月が楽しい事ばかりの生活でした。
posted by 某研究者 at 17:58| 東京 ☁| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月26日

長期間の更新が出来なかった原因は?

今回ほど焦り狂った事はありませんでした

長期間の更新が出来なかった原因は、小説の執筆で忙しかったからです。

最初は香川県ゆかりの「桃太郎」の小説を、私の考古学研究成果を交えて書き始めていました。
しかし、途中からどうしても他のテーマが頭の中を駆け巡り始めたのです。

それはNHK大河ドラマ「平清盛」に登場する「崇徳上皇」です。
以前に私のページでもご紹介しましたように、崇徳上皇はこの讃岐の国に流されて、不遇の一生を終えられ皇族なのにその陵墓を讃岐に築く事になってしまった方です。

讃岐の国、特に中讃地区の人たちは崇徳上皇に未だに敬愛の念を持ち続けています。江戸時代に「雨月物語」で書かれたように日本最大にして最強の怨霊でなかったと私たちは信じています。

NHK大河ドラマ「平清盛」で生霊として描かれた事に、私は少なからず心が傷付きました。
そこで崇徳上皇の讃岐の国での本当の姿を描きたいと思って小説の筆を執ったのです。(実際はパソコンのキーボード)

「ほっこまい」の私は、一つの事に集中すると他事が目に入らなくなってしまいます。
結果的に更新する事も無く、皆様にご無沙汰を致す事になりました。


さて、ほとんど小説が完成しかかった時、私を愕然とする記事が発表されたのです。

「西行と崇徳上皇・その後の静御前」の出版・・・・。
丸亀市出身の横井寛 工学博士が上記の書籍を出版したとニュースで聞きました。
博士も私と同じように、崇徳上皇は怨霊ではなく、温厚で地元の民たちにも慕われていたと結論付けているとの事です。

同じテーマでの書籍・・・無線工学「空中線と電波伝搬」が同じ専門・・・。同じような思考回路の人間が書籍を書いたら・・・。
私はこのまま小説を書き上げても良いのかと本気になって悩みました。

しかし、博士は短歌の方向性から書き上げた書物。私は古気象学から組み立てた小説。
悩みながらも一応小説を完成させました。

私の母の法事で帰省した長男(工学博士です)に、この話をしたところ研究専門分野が違うのに、
「その博士と云うか教授の事は知っています。和歌や書などに堪能な工学博士として有名な方。」
と、今回の出版が当然の様に話していました。


こんな事を書くと・・・・・。

実は・・・・今回いろいろな症状が出て、心不全を起こしかけていました。
怨霊好きな人たちは・・・。
「ほら見ろ!祟られたんだ!」
って言われてしまいそうですが、私は先ほど申し上げたように「ほっこまい」。
つまり、小説執筆の為に体に相当の負担を掛けて居たので、体調が悪化したのだと思っています。

このような事例が積み重なると、やはり崇徳上皇が怨霊だと云う方向性を与えられて、そして怨霊として確定していくのだと実感しました。
当時の都でも流行り病が続き、皇族や貴族も次々と亡くなりました。
また大飢饉や地震などの天災も続いています。
結果的に崇徳上皇を怨霊として仕立て上げたほうが施政者として民たちに説明がしやすかったのでは?と思ってしまいます。

これを機会に歴史的な人物の評価を今一度見直してみるのも良いと思います。

**
注)ほっこまい:讃岐の国の丸亀藩の方言で標準語にしたら「馬鹿者」、関西語にしたら「アホンダラ」・・・でも丸亀のこの言葉の意味は「一つの事に集中して他の事が判らなくなってしまう人」です。
posted by 某研究者 at 14:09| 東京 ☀| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

二日間テレビを観ていたら・・・

二日間テレビを観ていたら・・・

お早う御座います。亀山築城です。

昨日に続いて今朝もテレビを観ていました。
何気なくパソコンに向かいながら観ていると・・・。

銀座の「熱帯魚ショップパウパウアクアガーデン」が出ていました。
実は私の最初の銀座での買い物が・・・・熱帯魚ショップパウパウアクアガーデンで実験用のメダカを買ったのが最初でした。
東京へ行くと、高校生の頃から秋葉原しか行き先はありません。
学会やセミナーなどの出張へ東京へ行くと、お隣の県に有る某ディズニー・リゾートへ一人で遊びに行っていたものでした。

研究開発した「生物センサー」の研究発表と展示説明の為に一週間の出張で東京へ行った折に、現地まで実験用のメダカを連れて行けないので、現地調達しようと考えていました。
研究発表会場のビッグサイトから一番近いメダカを売っているお店が上記の熱帯魚ショップパウパウアクアガーデンだった訳です。

人生最初の銀座での買い物が・・・・メダカ二十匹・・・・。
ちょっとと云うより物凄く複雑な気持ちで買ったメダカをビッグサイトまで連れて帰ったのを思い出しました。


他の番組で「ハーフ美人」のテーマの番組が有りました。

その中でフィリピン人と日本人とのハーフの方が出ていたのですが、ふと「Sister婆ちゃん」を懐かしく思い出してしまいました。

「Sister婆ちゃん」はカトリックの修道女(シスター)で、フィリピン人のお婆ちゃんでした。
ご存知のように司祭(神父)は聖職者なので独身、そして信者の一形態の修道者(男性;ブラザー、女性シズター)たちも修道誓願の中に「童貞」の誓いが有るので、一生独身を貫きます。
我が家は某修道会とは家族付き合いが深く、そのフィリピン人のシスターは独身時代の私を子供のように可愛がって呉れていました。
そしてその独身から嫁はんと結婚すると、シスターは孫(つまり私の子供)が生まれるのを楽しみにしていました。

長男、次男、長女と生まれ、彼女は自分の事を「Sister婆ちゃん」と名乗って、子供たちのお婆ちゃんとして収まってしまったのです。
独身時代から良くお昼前や夕食前になると「今から食事に来ない?フィリピン料理を作るから。」と電話が掛かります。
黒板の私の欄の要食事マークを消して、私は遠慮もせずに修道院へいつも出掛けていました。

子供が出来てからは、それは大変なことに・・・。
呼び出される回数が半端でなかったのです。
お婆ちゃんとして孫に美味しいフィリピン料理を作らなければと、腕によりをかけて料理に励んでいました。

その彼女も修道院が変わって、それまでのように我が家族を気楽に呼べなくなりました。
そこで今度は私たちが進んでお隣の県の修道院まで行くことに。

Sister婆ちゃんは大喜びで長男を修道院の庭に連れ出し、
「お婆ちゃん、お魚!」
「Oh!Fish!]
「可愛いね!」
「Lovely Fish!]
通訳に慌てて庭に出ると、こんな感じでお互いの言葉で話しています。

出番が無いと感じた私は、他の修道女と話をするために修道院へ戻りました。
手作りの料理を食べて、おやつやお土産に手作りのフィリピンのお菓子を出して呉れます。

彼女はもう既にこの世に居ませんが、とても懐かしく暖かい思い出に浸った時間でした。
ラベル:思い出
posted by 某研究者 at 13:40| 東京 ☀| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月14日

日本のティッシュは・・・

日本のティッシュは・・・

ご無沙汰しています。

研究費獲得のために、小説を苦労して書き綴っています。
今回は崇徳上皇の物語を描いています。

実は、この讃岐の国では崇徳上皇は日本最大にして最強の怨霊だとの認識は有りません。
帝から遣わされた刺客に殺害されたところには、未だに周辺の住民が毎日花を手向けています。

今回のNHKの大河ドラマ「平清盛」でも怨霊として描かれていました。

江戸時代後期に上田秋成が書いた「雨月物語」の一巻(白峯)に、崇徳上皇は怨霊と描かれています。
これはドラマにも出てくる僧西行が崇徳上皇の御陵に参った折、
「松山の 浪のけしきは かはらじを かたなく君は なりまさりけり」
と歌を詠んだそうです。
すると、
「松山の 浪にながれて こし船の やがてむなしく なりにけるかな」
と返歌が返って来たそうです。
それでその声が崇徳上皇だと判った西行法師。

そして西行法師と崇徳上皇との論争が始まったと描かれています。
そのうちに異形の姿になってしまった崇徳上皇の姿を西行法師は拝謁することに・・・。
尊敬し慕っていた崇徳上皇が怨霊になってしまったと嘆きながら、西行法師は歌を詠みます、
「よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは 何にかはせん」
その歌に慰められて、崇徳上皇は異形の顔からあの優しき凛とした竜顔に戻られたとの事です。

また同じく江戸時代の「椿説弓張月」(ちんせつ ゆみはりづき){曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本}には、主人公の鎮西八郎為朝(実名:源為朝)が窮地に陥った時に、かつての源為朝の主だった崇徳上皇が怨霊として助けに来ると云った内容です。

崇徳上皇が呪いを込めて血筆で書いたと云う写経は、後世の創作だと云われています。

都で崇徳上皇が怨霊としてささやき始めたのは、崩御なさってから約十年後からだと言われています。
それから云うと、ドラマでは少し怨霊になるのが早過ぎるように。
ちょっと私の思うところの崇徳上皇を描ければと思っています。


さて話を表題に戻します。

今朝の日本テレビ系列の「ZIP!」を観ていると、日本のティッシュは素晴らしいと外国から来られた方々が感じられていると放送されていました。
外国のティッシュは、ごわごわしていて手触りも固く日本のような柔らかい感触ではないそうです。

香りが付いたティッシュとか可愛らしい絵柄が印刷されたティッシュ。
外国には無いとのことです。

その放送を観ていて心に浮かんだのが、戦国時代末期の「天正少年遣欧使節」の事でした。
4人の少年使節と印刷技術を学ぶ二人の少年、そして随行の大人たち。
ヨーロッパ各地では、彼らが盛大に歓迎されたと歴史書にも記載されています。

その中の話で、彼らは当時から有った「桜紙」を使っていたそうです。
ヨーロッパ人は日本の少年が使ったその桜紙を不思議そうに眺め、我慢しきれずに触るとその柔らかさに吃驚したと記録に残っています。
そしてその捨てられた桜紙を拾うと、彼ら少年の後を付いて廻ったとの事です。

上記の番組の中で多くの外国の方々が、かの大昔に西欧各地で見られた日本の紙への驚きと同様な仕草を感じました。

日本人は西洋人より皮膚の角質が薄いとはいえ、柔らかい紙が必要だったのですね!

いつもは見ないテレビも面白い事が有るのに気付きました。
ラベル:ティッシュ 桜紙
posted by 某研究者 at 10:15| 東京 ☀| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月02日

「24時間・・・」某放送局ネット作成の番組を視聴して

「24時間・・・」某放送局ネット作成の番組を視聴して

今回も賑やかにこの番組が終わりました。
今年で35回になるのですね?

小説「鬼ヶ嶋」執筆中ですが、ちょっと疲れましたので、この番組に対する所感を書き綴ってみたいと思います。
きっと私の真意が伝わらずに誤解されるような書き方しか出来ないと思いますが・・・。

最初の頃と違って・・・何だか番組作成の姿勢が変わったように感じています。
それは困っている人のためにではなくて・・・視聴率獲得目当ての姿勢が強くなったような感じを受けています。

身体障害者の方のドラマ・・・ドラマなのでどうしても感動させるようなシーンや台詞などが必要なのは判ります。
しかし、実際の障害者の方たちの苦しみや悩みは、もっと異質なものだと思います。
しかし番組作成のためには、視聴者からの支持を得られるような番組を作成しなければなりません。
本当の彼らの叫びは、これらのドラマからは聞こえてこないように・・・。

学生の頃、私は元の某放送合唱団の練習や、施設訪問ボランティアグループ(養護施設・ハンセン氏病療養所)のリーダー、そして個人的に乳児院・育児院・身体障害者ボランティアグループの手伝いなどと勉学の時間が無いほどに忙しくしていました。
その時に体験したことを・・・少し。

年末のパーティのために身体障害者ボランティアグループのワンボックスに乗っていた時の事です。
突然、一人のお母さんが、
「私が死ぬ時はこの子を殺してから死ぬ!」と
大声を出したのです。
いつも我が子を大事にしているお母さんが・・・。
私はその叫びを聞いて、このような時に会っている時のうわべの穏やかな顔だけでなく、本当はもっと辛くて厳しい現実に直面されているのを実感しました。
ただ、その時の叫びを身体障害者のこの子に聞かせたくなかったと思ったのが本当の事です。

他には、
乳児院から電話が有って、「○○子が育児院に移るから一緒に行ってあげて」と・・・。
乳児院へ行ったら、その子とよく遊んでいました。
「もう乳児院から育児院へ行く歳になったんだ」と
思いながら乳児院へ出掛けました。
乳児院の車に、その子の世話をしていた保母さんと一緒に乗り込みます。
最初はドライブだと思い込んで上機嫌だった子でした。
しかし、保母さんの暗い寂しそうな表情から、自分の運命が判ったようです。
泣き始めたその子をなだめようと保母さんも私も一生懸命になりますが、泣き止んでくれません。
育児院へ着いて・・・。
育児院担当の保母さんが出迎えて両手を広げて抱こうとしますが、その子は今まで本当の母親だと思っていた保母さんに抱き付いて離れようとしません。
施設や児童福祉法の規則から、その子は赤ちゃんのときに実の母親から捨てられて、この時に母親と思っていた保母さんからも捨てられたのです。

上記の二つをドラマになんか出来ませんよね?
もしかしたらそのような演出をして、最後はハッピーエンドのドラマに仕立て上げるかも?

他にもライ予防法で強制隔離されて孤島の療養所へ無理やりに送られ、子供が出来ないように不妊手術を・・・。
療養所の奥まった部屋にはホルマリン漬けの・・・標本が。
これも国の法律でこうなりました。
患者さんの部屋に訪問して話していたら、
「どうしても生まれた家に戻りたいと洗面器につかまって海に出たら、流れが酷くて嶋の周りをクルクルと流されるだけ・・時が過ぎて許しが出て故郷に戻ると、自分の名が墓に・・・。親戚は既に自分が死んだことにしていた」と


しかし、この番組のお蔭で多くの人たちが困った人たちの事を知って貰えています。
そして多くの募金も・・・。
本当に有り難いと思います。

障害者の方々の社会進出や老齢者の快適な生活を目指すお手伝いの研究(福祉機器研究開発)をしている学会に属していますので、一般の方々に目を向けて貰える番組は必要だと感じています。

ただ・・・番組作りの視線の立ち位置をもう少し考えて貰えたらと思っています。
posted by 某研究者 at 16:19| 東京 ☀| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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