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2012年09月26日

私の好きな寺社仏閣 西国三十三箇所札所第十三番 石光山石山寺

私の好きな寺社仏閣
西国三十三箇所札所第十三番
 石光山 石山寺


カトリック教徒ですが、個人的に由緒ある寺社仏閣に興味があります。
また四国は讃岐の国に住んでいますので、四国八十八箇所を廻ったこともありました。

今回はこれまで行った寺社仏閣の中で大好きな建物をご案内致します。

この寺は紫式部が「源氏物語」を書き始めるにあたって、須磨の巻の情景のイメージを思い付いた事で有名ですね!
光源氏が須磨に流されて都の華やかな様を思い出して涙に暮れる場面が、この地で十五夜の月が琵琶湖に映る情景から思い浮かんだと云われています。

長女が休みで帰って来ていたので、大学へ戻る見送りがてら石山寺へ家族と一緒に行く事にしました。
本当は立命館大学の在学・卒業生の父兄対象の「教授に依る歴史学的考察による京都近辺歴史案内」に参加出来ればと考えていました。
しかし、家族揃って歴史に触れたくなって、今回の小旅行に出掛けたのでした。

石山寺はご存知のように「西国三十三箇所観音霊場の札所」です。
歴史的に札所としての存在と云うより、この寺は文学の薫り高い文芸・芸術の寺になります。
平安時代には先ほどの紫式部だけでなく、『蜻蛉日記』の藤原道綱母、『更級日記』の菅原孝標女、 『和泉式部日記』の和泉式部などが、この寺について書き綴っていました。
また松尾芭蕉はこの寺へ何回も住み込んで多くの句を詠んでいます。
近世では島崎藤村が境内の密蔵院に二ヶ月ほど滞在して作品を書いています。

他に源頼朝が東大門、多宝塔などを寄進したと伝えられています。

それでは写真にて石山寺をご案内致します。

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東大門

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硅灰石

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蓮如堂と本堂への石段

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紫式部が「源氏物語」を書き始めた部屋

多くの大きな写真を使いましたので、ブログより大きな写真を載せられる私のホームページへ申し訳ありませんが、下記のリンクよりお越し下さい。↓
私の好きな寺社仏閣
posted by 某研究者 at 15:37| 東京 ☀| Comment(0) | 私の好きな寺社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月25日

私の好きな寺社仏閣 西国三十三箇所札所第二十七番 書寫山圓教寺

私の好きな寺社仏閣
西国三十三箇所札所第二十七番
 書寫山圓教寺(書写山円教寺)
  しょしゃざんえんぎょうじ


カトリック教徒ですが、個人的に由緒ある寺社仏閣に興味があります。
また四国は讃岐の国に住んでいますので、以前に四国八十八箇所を廻ったこともありました。

今回はこれまで行った寺社仏閣の中で大好きな建物をご案内致します。

映画「ラストサムライ」とNHK大河ドラマ『武蔵』のロケ地として余りにも有名なので、ご存知の方も多いと思います。
私は学生時代にカトリック大学生会のメンバーを引き連れて何回かこの寺を訪れた事があります。
今回は、私の家族を連れて行っていないので、平成の大修理中の姫路城まで足を伸ばしたついでに立ち寄りました。

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山門

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摩尼殿

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大講堂

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常行堂


この寺は西国三十三箇所の第二十七番札所で、私が一番大好きな寺です。
多くの大きな写真を使いましたので、ブログより大きな写真を載せられる私のホームページへ申し訳ありませんが、下記のリンクよりお越し下さい。↓
私の好きな寺社仏閣
posted by 某研究者 at 14:31| 東京 ☁| Comment(0) | 私の好きな寺社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

二日間テレビを観ていたら・・・

二日間テレビを観ていたら・・・

お早う御座います。亀山築城です。

昨日に続いて今朝もテレビを観ていました。
何気なくパソコンに向かいながら観ていると・・・。

銀座の「熱帯魚ショップパウパウアクアガーデン」が出ていました。
実は私の最初の銀座での買い物が・・・・熱帯魚ショップパウパウアクアガーデンで実験用のメダカを買ったのが最初でした。
東京へ行くと、高校生の頃から秋葉原しか行き先はありません。
学会やセミナーなどの出張へ東京へ行くと、お隣の県に有る某ディズニー・リゾートへ一人で遊びに行っていたものでした。

研究開発した「生物センサー」の研究発表と展示説明の為に一週間の出張で東京へ行った折に、現地まで実験用のメダカを連れて行けないので、現地調達しようと考えていました。
研究発表会場のビッグサイトから一番近いメダカを売っているお店が上記の熱帯魚ショップパウパウアクアガーデンだった訳です。

人生最初の銀座での買い物が・・・・メダカ二十匹・・・・。
ちょっとと云うより物凄く複雑な気持ちで買ったメダカをビッグサイトまで連れて帰ったのを思い出しました。


他の番組で「ハーフ美人」のテーマの番組が有りました。

その中でフィリピン人と日本人とのハーフの方が出ていたのですが、ふと「Sister婆ちゃん」を懐かしく思い出してしまいました。

「Sister婆ちゃん」はカトリックの修道女(シスター)で、フィリピン人のお婆ちゃんでした。
ご存知のように司祭(神父)は聖職者なので独身、そして信者の一形態の修道者(男性;ブラザー、女性シズター)たちも修道誓願の中に「童貞」の誓いが有るので、一生独身を貫きます。
我が家は某修道会とは家族付き合いが深く、そのフィリピン人のシスターは独身時代の私を子供のように可愛がって呉れていました。
そしてその独身から嫁はんと結婚すると、シスターは孫(つまり私の子供)が生まれるのを楽しみにしていました。

長男、次男、長女と生まれ、彼女は自分の事を「Sister婆ちゃん」と名乗って、子供たちのお婆ちゃんとして収まってしまったのです。
独身時代から良くお昼前や夕食前になると「今から食事に来ない?フィリピン料理を作るから。」と電話が掛かります。
黒板の私の欄の要食事マークを消して、私は遠慮もせずに修道院へいつも出掛けていました。

子供が出来てからは、それは大変なことに・・・。
呼び出される回数が半端でなかったのです。
お婆ちゃんとして孫に美味しいフィリピン料理を作らなければと、腕によりをかけて料理に励んでいました。

その彼女も修道院が変わって、それまでのように我が家族を気楽に呼べなくなりました。
そこで今度は私たちが進んでお隣の県の修道院まで行くことに。

Sister婆ちゃんは大喜びで長男を修道院の庭に連れ出し、
「お婆ちゃん、お魚!」
「Oh!Fish!]
「可愛いね!」
「Lovely Fish!]
通訳に慌てて庭に出ると、こんな感じでお互いの言葉で話しています。

出番が無いと感じた私は、他の修道女と話をするために修道院へ戻りました。
手作りの料理を食べて、おやつやお土産に手作りのフィリピンのお菓子を出して呉れます。

彼女はもう既にこの世に居ませんが、とても懐かしく暖かい思い出に浸った時間でした。
ラベル:思い出
posted by 某研究者 at 13:40| 東京 ☀| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月14日

日本のティッシュは・・・

日本のティッシュは・・・

ご無沙汰しています。

研究費獲得のために、小説を苦労して書き綴っています。
今回は崇徳上皇の物語を描いています。

実は、この讃岐の国では崇徳上皇は日本最大にして最強の怨霊だとの認識は有りません。
帝から遣わされた刺客に殺害されたところには、未だに周辺の住民が毎日花を手向けています。

今回のNHKの大河ドラマ「平清盛」でも怨霊として描かれていました。

江戸時代後期に上田秋成が書いた「雨月物語」の一巻(白峯)に、崇徳上皇は怨霊と描かれています。
これはドラマにも出てくる僧西行が崇徳上皇の御陵に参った折、
「松山の 浪のけしきは かはらじを かたなく君は なりまさりけり」
と歌を詠んだそうです。
すると、
「松山の 浪にながれて こし船の やがてむなしく なりにけるかな」
と返歌が返って来たそうです。
それでその声が崇徳上皇だと判った西行法師。

そして西行法師と崇徳上皇との論争が始まったと描かれています。
そのうちに異形の姿になってしまった崇徳上皇の姿を西行法師は拝謁することに・・・。
尊敬し慕っていた崇徳上皇が怨霊になってしまったと嘆きながら、西行法師は歌を詠みます、
「よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは 何にかはせん」
その歌に慰められて、崇徳上皇は異形の顔からあの優しき凛とした竜顔に戻られたとの事です。

また同じく江戸時代の「椿説弓張月」(ちんせつ ゆみはりづき){曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本}には、主人公の鎮西八郎為朝(実名:源為朝)が窮地に陥った時に、かつての源為朝の主だった崇徳上皇が怨霊として助けに来ると云った内容です。

崇徳上皇が呪いを込めて血筆で書いたと云う写経は、後世の創作だと云われています。

都で崇徳上皇が怨霊としてささやき始めたのは、崩御なさってから約十年後からだと言われています。
それから云うと、ドラマでは少し怨霊になるのが早過ぎるように。
ちょっと私の思うところの崇徳上皇を描ければと思っています。


さて話を表題に戻します。

今朝の日本テレビ系列の「ZIP!」を観ていると、日本のティッシュは素晴らしいと外国から来られた方々が感じられていると放送されていました。
外国のティッシュは、ごわごわしていて手触りも固く日本のような柔らかい感触ではないそうです。

香りが付いたティッシュとか可愛らしい絵柄が印刷されたティッシュ。
外国には無いとのことです。

その放送を観ていて心に浮かんだのが、戦国時代末期の「天正少年遣欧使節」の事でした。
4人の少年使節と印刷技術を学ぶ二人の少年、そして随行の大人たち。
ヨーロッパ各地では、彼らが盛大に歓迎されたと歴史書にも記載されています。

その中の話で、彼らは当時から有った「桜紙」を使っていたそうです。
ヨーロッパ人は日本の少年が使ったその桜紙を不思議そうに眺め、我慢しきれずに触るとその柔らかさに吃驚したと記録に残っています。
そしてその捨てられた桜紙を拾うと、彼ら少年の後を付いて廻ったとの事です。

上記の番組の中で多くの外国の方々が、かの大昔に西欧各地で見られた日本の紙への驚きと同様な仕草を感じました。

日本人は西洋人より皮膚の角質が薄いとはいえ、柔らかい紙が必要だったのですね!

いつもは見ないテレビも面白い事が有るのに気付きました。
ラベル:ティッシュ 桜紙
posted by 某研究者 at 10:15| 東京 ☀| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月11日

お四国さん(四国八十八箇所遍路)第七十五番札所 善通寺

お四国さん(四国八十八箇所遍路)
第七十五番札所 善通寺

カトリック信者ですが、以前に私は八十八箇所巡りと高野山を巡っています。
しかし、その時の写真データが、幾つかのパソコンのハードディスク・クラッシュと共に昇天してしまい、現在では手元に有りません。もしかしてMOかCD−Rに保存していたら、そのデータを使って一気に全ての札所のご案内を出来るのですが・・・。
そこで時間を見付けて近場の札所から手始めに巡ってみたいと思います。

またまたお四国さんの更新が三ヶ月のご無沙汰になってしまいました。
研究所を辞めていますので、研究費も自分で工面しなければなりません。
実は研究費捻出のために小説の執筆に時間を執られているのです。
讃岐の国ゆかりの崇徳上皇を描いた作品を書き進めています。

さて本題です。
前回が金倉寺でしたので、今回は善通寺に・・・。

この寺は子供の頃から何回も来たことが有ります。
今では登れなくなった五重塔にも登りましたし、堀の亀とも遊んだことも・・・。

そうそう、この寺は弘法大師の父親の実家の在った所で、弘法大師が誕生したとされています。
本当はもう一つ在って、多度津町の海岸寺、ここは母親の実家だったらしく、産湯の井戸も在るそうです。


第七十五番札所 五岳山(ごがくざん) 善通寺(ぜんつうじ)

ご詠歌: われすまば よもきえはてじ 善通寺 深き誓の 法のともしび

ご存知の弘法大師の生家佐伯家がこの地に住んでいました。

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山門:


宗派:真言宗総本山

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大師堂:

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本堂:
ご本尊:薬師如来(弘法大師作)




大きな地図で見る


ブログではこれから作成する各札所の記事を一度に見るのが難しいと思います。
また、ブログにはスペースの関係で載せられない辺りの風景などの写真も御座います。
下記の私のホームページに纏めて作成していきたいと思いますので、こちらもご覧下さい。
またブログより大きな写真を使っていますので見やすいと思います。

お四国さん(四国八十八箇所遍路)
posted by 某研究者 at 15:07| 東京 ☀| Comment(0) | 四国八十八箇所遍路札所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月02日

「24時間・・・」某放送局ネット作成の番組を視聴して

「24時間・・・」某放送局ネット作成の番組を視聴して

今回も賑やかにこの番組が終わりました。
今年で35回になるのですね?

小説「鬼ヶ嶋」執筆中ですが、ちょっと疲れましたので、この番組に対する所感を書き綴ってみたいと思います。
きっと私の真意が伝わらずに誤解されるような書き方しか出来ないと思いますが・・・。

最初の頃と違って・・・何だか番組作成の姿勢が変わったように感じています。
それは困っている人のためにではなくて・・・視聴率獲得目当ての姿勢が強くなったような感じを受けています。

身体障害者の方のドラマ・・・ドラマなのでどうしても感動させるようなシーンや台詞などが必要なのは判ります。
しかし、実際の障害者の方たちの苦しみや悩みは、もっと異質なものだと思います。
しかし番組作成のためには、視聴者からの支持を得られるような番組を作成しなければなりません。
本当の彼らの叫びは、これらのドラマからは聞こえてこないように・・・。

学生の頃、私は元の某放送合唱団の練習や、施設訪問ボランティアグループ(養護施設・ハンセン氏病療養所)のリーダー、そして個人的に乳児院・育児院・身体障害者ボランティアグループの手伝いなどと勉学の時間が無いほどに忙しくしていました。
その時に体験したことを・・・少し。

年末のパーティのために身体障害者ボランティアグループのワンボックスに乗っていた時の事です。
突然、一人のお母さんが、
「私が死ぬ時はこの子を殺してから死ぬ!」と
大声を出したのです。
いつも我が子を大事にしているお母さんが・・・。
私はその叫びを聞いて、このような時に会っている時のうわべの穏やかな顔だけでなく、本当はもっと辛くて厳しい現実に直面されているのを実感しました。
ただ、その時の叫びを身体障害者のこの子に聞かせたくなかったと思ったのが本当の事です。

他には、
乳児院から電話が有って、「○○子が育児院に移るから一緒に行ってあげて」と・・・。
乳児院へ行ったら、その子とよく遊んでいました。
「もう乳児院から育児院へ行く歳になったんだ」と
思いながら乳児院へ出掛けました。
乳児院の車に、その子の世話をしていた保母さんと一緒に乗り込みます。
最初はドライブだと思い込んで上機嫌だった子でした。
しかし、保母さんの暗い寂しそうな表情から、自分の運命が判ったようです。
泣き始めたその子をなだめようと保母さんも私も一生懸命になりますが、泣き止んでくれません。
育児院へ着いて・・・。
育児院担当の保母さんが出迎えて両手を広げて抱こうとしますが、その子は今まで本当の母親だと思っていた保母さんに抱き付いて離れようとしません。
施設や児童福祉法の規則から、その子は赤ちゃんのときに実の母親から捨てられて、この時に母親と思っていた保母さんからも捨てられたのです。

上記の二つをドラマになんか出来ませんよね?
もしかしたらそのような演出をして、最後はハッピーエンドのドラマに仕立て上げるかも?

他にもライ予防法で強制隔離されて孤島の療養所へ無理やりに送られ、子供が出来ないように不妊手術を・・・。
療養所の奥まった部屋にはホルマリン漬けの・・・標本が。
これも国の法律でこうなりました。
患者さんの部屋に訪問して話していたら、
「どうしても生まれた家に戻りたいと洗面器につかまって海に出たら、流れが酷くて嶋の周りをクルクルと流されるだけ・・時が過ぎて許しが出て故郷に戻ると、自分の名が墓に・・・。親戚は既に自分が死んだことにしていた」と


しかし、この番組のお蔭で多くの人たちが困った人たちの事を知って貰えています。
そして多くの募金も・・・。
本当に有り難いと思います。

障害者の方々の社会進出や老齢者の快適な生活を目指すお手伝いの研究(福祉機器研究開発)をしている学会に属していますので、一般の方々に目を向けて貰える番組は必要だと感じています。

ただ・・・番組作りの視線の立ち位置をもう少し考えて貰えたらと思っています。
posted by 某研究者 at 16:19| 東京 ☀| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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