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2012年04月29日

「京極高和と京極家寄贈資料展」丸亀市立資料館で開催

「京極高和と京極家寄贈資料展」丸亀市立資料館で開催

5月3〜13日香川県の丸亀市立資料館(同市一番丁)で「京極高和と京極家寄贈資料展」開催

去年、皆様にご案内致しました「浅井三姉妹初と京極展」をきっかけに、東京在住の殿様(京極家)から、丸亀市に佐々木信綱(のぶつな)の矢入れ道具「金梨子地桐四(きんなしじきりよ)つ目結紋入箙(めゆいもんいりえびら)」と、その展示で紹介された「徳川2代将軍秀忠の正室の江(ごう)が、京極家に嫁いだ姉初(はつ)の養女になった娘・初姫に宛てた手紙」などの50点が丸亀市に寄贈されました。
ご存じのように去年のNHK大河ドラマ「お江」で、上記のようにゆかりのある丸亀藩です。

今回、旧丸亀藩主から寄贈された品々が資料館で展示されることになり是非とも丸亀にお越し下さい。
入場無料。
問い合わせは丸亀市立資料館〈0877(22)5366〉

四国新聞社のホームページに関連情報が記載されています。下記より↓
佐々木信綱の矢入れなど京極家が丸亀市に寄贈

楽パックはじめてキャンペーン;


エリア情報;

posted by 某研究者 at 11:34| 東京 ☔| Comment(0) | 観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フリーゲージ採用へ 北陸新幹線 富山ー大阪直通

先を越されてしまいそう!

今朝の新聞一面に「フリーゲージ採用へ 北陸新幹線 富山ー大阪直通」の文字が踊っていました。
或る面で喜ばしい気持ちを感じながらも、「先を越された!」と云う悔しい想いが交錯してしまいました。
2025年度末までに北陸新幹線が敦賀まで開通するのに合わせ、フリーゲージトレインを大阪まで走らせるそうです。

私の叔父が旧国鉄時代に、四国香川県の多度津町に在る国鉄工機部に勤めていた関係で、子供の頃から「鉄道少年」になってしまいました。

実は先日の朝方の4時過ぎに、JR四国予讃線区を試験走行していたフリーゲージトレインを観る機会がありました。
四国を走る見慣れた車体とは全然違う、ブルーの車体が近付いてきたとき、咄嗟にフリーゲージトレインだと判りました。
早く四国でもフリーゲージトレインが走って呉れたらと期待しています。

四国旅客鉄道(JR四国)の多度津工場(旧国鉄工機部)で、日本初のフリーゲージトレインの車体が公開された日本経済新聞社のホームページは下記から↓
新型台車の技術を公開 フリーゲージトレイン発進へ

上記の記事を読んでいて、予讃線の線路を保線区の人たちが、これまでより頻繁に保線しているのが不思議でしたが、フリーゲージトレインの走行試験のために線路を補強して居たのだと初めて知りました。



posted by 某研究者 at 06:45| 東京 ☁| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月28日

丸亀城のこれまでの定説が覆されました

2012年 4月28日
丸亀城のこれまでの定説が覆されました

 丸亀城は生駒家、山崎家、京極家の三大名家に依って、その居城として築かれ整備されてきた城です。その石垣の総合計高さは日本一の高さを誇り、「扇の勾配」と呼ばれる優美な曲線を持った石垣でも有名です。
 生駒家が1615年の「一国一城令」高松城を本城としていたため、支城の丸亀城はいちど廃城になりました。
 そして生駒家が断絶し、その後に丸亀城主として入った山崎家が丸亀城の築城を1643年以降に再開します。
 それまで城郭の南東部山下曲輪が、一番古い自然石を積み上げただけの「野面積(のづらづみ)」工法の石垣で生駒家時代の石垣だと考えられていました。
 しかし、2009年4月のその石垣上部に生えていた木が倒木し、2011年12月から丸亀市教育委員会が石垣の修復を兼ねて発掘調査を行いました。
 その結果、石垣角部分から矢穴を持った石が出てきたのです。
 矢穴は、石を割る時にくさびを打ち込むための穴です。そしてこの工法は江戸時代初期の寛永年間(1624〜44年)以降の技術になります。
 と、云う事は上記の「野面積(のづらづみ)」は生駒時代に築かれた石垣ではなく、山崎家時代に築かれたのでは?と思われます。
 しかし、丸亀城築城の再開を行った山崎家は、この「野面積(のづらづみ)」を歴史的建造物としてわざと残そうとしたのではないかと考えられます。
 明日(29日)午前11時から丸亀市教育委員会に依る丸亀城での現地説明会が行われます。
 午前10時45分より丸亀市大手町2丁目の「丸亀市民ひろば」に集合して現地に向かうことになっています。

 私のシーズーの愛犬が一緒に写っていますが丸亀城の写真集のホームページを作成致しております。
 丸亀城は日本全国の城の中で、復元天守とか模擬天守ではなくて、江戸時代からの現存12天守の天守閣を持った城の一つです。私の愛犬と日本一の高さを誇る石垣の美しい丸亀城の写真集です。
 枚数が多く現在4ページ御座いますので、日本一の石垣の城の写真集をごゆっくりとお楽しみ下さい。
 下記のリンクよりご覧下さい。
丸亀城
ラベル:丸亀城
posted by 某研究者 at 18:15| 東京 ☀| Comment(0) | 観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月27日

恐竜や動物などの段ボール工作キットのhacomoが

恐竜や動物などの段ボール工作キットのhacomoが

恐竜や動物などの段ボール工作キットのhacomo(香川県東かがわ市)が段ボール製の家具を開発したそうです。

恐竜や動物など、大きな強化段ボールを使ってキットを販売しているのを、テレビなどで観て知っていました。
今回、個人や法人向けに強化段ボールを使用した家具を売り出すそうです。

東日本大震災でこれらの段ボール製の家具が人気になったので、もっと販拡をする方針に転換したようです。

四国新聞社のホームページに詳しい記事のページが↓
段ボールの家具開発/東かがわ・hacomo
posted by 某研究者 at 18:25| 東京 ☁| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「いちご白書」をもう一度

「いちご白書」をもう一度

ふと映画「いちご白書」を思い出してしまいました。

そうです!あのバンバンが唄っていた『「いちご白書」をもう一度』の中で、「♪授業を抜け出して二人で出掛けた♪」 その時に観た映画の事です。

この映画が上映された頃は、日本では学生闘争が盛んな時期でした。
ノンポリ・ノンセクトの私は、はっきり言って、日本での彼ら学生闘争家の気持ちが判りませんでした。

右手に学生達のデモ隊、そして左手には機動隊が対峙していて、いつまで経っても何も起こりそうにありません。
そこで悪戯好きな私は・・・・近くにあった小石を機動隊へ・・・。
「抵抗するのか!」と大きな声が機動隊の拡声器から怒鳴ります。
ビビって居るのはデモ学生達。
もう一度小石を・・・。
棍棒を振り上げて機動隊はデモ学生達に・・・。
あの当時、一番怖かったのは学生運動家ではなくてノンポリ学生だったのかも・・・?
小石を機動隊へ投げていたのは、私だけでありませんでしたので・・・念のため・・・・。

ところで私も授業を抜け出して見に行ったわけではありませんが、この映画が強く心に残っています。
この映画は1968年のコロンビア大学闘争に参加した学生の手記を元にアメリカで作成された映画です。

主人公のサイモン(実に”サイモンとガーファンクル”と同名のサイモンだったので覚えていました)は・・・確かアメリカの大学では定番のボート部の部員で、やはり彼もノンポリの学生でした。
その大学がストライキ中で封鎖・・・。
子供の遊び場に何か忘れましたが、州政府がそこに建物を建てるのに反対した学生運動だったと思います。
その彼が見物がてらに学生闘争で占拠中の大学構内に入ってみると、サイモンが興味を持つ事柄が多く有ったのです。
そして大学から帰ろうとした時、魅力的な女子学生に出会います。彼女の名前が・・・・?

サイモンは彼女が学生闘争リーダーの一人だった為に、引き込まれるようにゲバルト闘争に入っていきました。
大学構内には”チェ・ゲバラ”や”毛沢東”のポスターが貼ってあって、もろに共産主義の方向に学生達が向かっているのを感じが表現されています。
そして州当局の腐敗ぶりが露呈されると、彼ら学生闘争家は大学の講堂に数百人が籠城する事に。
そして州兵も動員されて武装警官が大学に突入しました。
次々と棍棒に倒されていく闘争家。
振り下ろされた棍棒で、彼女の顔が鮮血で染まったのを見たサイモンは・・・。
銃を構えている州兵(武装警官?)に向かって講堂から飛び出します。
その瞬間、宙に浮いたサイモンの姿で映像が止まりました。
バックから流れる曲が「The circle game」です。
↑青い大きな文字のタイトルをクリックしてyoutubeでお聴き下さい。

やはり今回のこの記事でご訪問戴いた方々は、荒井由美(松任谷由美)作詞作曲でバンバンが唄っていた『「いちご白書」をもう一度』の話題だと思われていらっしゃった方が殆どだと思います。
↑青い大きな文字のタイトルをクリックしてyoutubeでお聴き下さい。

当時の私が・・・何をしていたのかって?
髪を伸ばして、無精ひげも伸ばし、ダブルのブルージーンズのスーツを着て、片手にはパイプ・・・。頭にはベレー帽を・・・。
新幹線にひげを剃って乗っていると、「手塚治虫先生だ!」ってよく言われて居ました。尊敬する手塚先生に似ているのかな?と疑問符がつきますが・・・。

実はハンセン氏病の国立療養所や児童養護施設などの施設訪問ボランティアに狂って居ました。
特に児童養護施設(親の居ない子、事情があって親と一緒に暮らせない子が入る施設)を訪問しては、子供達と遊んでいました。
或る乳児院から養護施設に移される子と一緒に車に乗った時、赤ちゃんの時に公園に捨てられて乳児院に入り、自分の母親だと思っていた保母さんに抱かれ・・・これからの別れを知らずに・・・車に乗せて貰って喜んで居る子・・・。
やがて養護施設に着いて、この子はこれからの状況がやっと判り、世話をして貰っていた保母さんに泣きじゃくりながら抱きついて離れようとしません。
しかし規則は規則!無理矢理引き離されて養護施設に収容されてしまいます。
闘争学生達が政治問題をどうこう言うより、この子達の現実を彼らにも考えて欲しい!と言うのが、当時の私の切実な気持ちでした。

この時の体験をエッセイ「この子達と共に歩んで」として書き綴っています。
でじたる書房で電子出版致しております。今流行りの電子ブックですので、パソコンやスマートフォンで読むことが出来ます。
でじたる書房で、私のペンネーム「亀山 築城」か、上記の本の題名「この子達と共に歩んで」を検索して下さい。
他にも私の作品は;
動物愛護エッセイ「僕たちを判って!」
歴史小説    「浦島太郎って誰?」
歴史小説    「屋嶋の禿げとその兄達」
posted by 某研究者 at 16:02| 東京 ☁| Comment(0) | 私の著作の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月24日

香川県綾川町の滝宮天満宮で「うそかえ神事」

香川県綾川町の滝宮天満宮で「うそかえ神事」

全国各地の天満宮で行われている神事「うそかえ神事」が、四国・香川県綾川町の滝宮天満宮で24日に行われました。

これは菅原道真が不幸になったときに救ったのがスズメ科の「うそ」と云う鳥が彼を救ったと云われている。
その故事に習って始まった風習で、滝宮の天満宮でも参拝客が購入した「うそ鳥」を「かえましょ、かえましょ」と言いながら至る所で交換するシーンが見られます。
こうすることによって、災いやけがや病気などを防げると信じられています。

ところで太宰府などの天満宮の祭神「菅原道真」が、讃岐の国(香川県)の国司(現在の県知事?)として讃岐国府に赴任して居たことがあります。
そのときに水不足のために灌漑事業などを行なったので、今でも讃岐人に人気のある人です。

このゴールデンウィークに、歴史の旅として四国にいらっしゃいませんか?
平家ゆかりの屋嶋、崇徳上皇のゆかりの白峰寺などなど、見所が多いですよ!

楽天トラベルの香川県宿泊施設案内ページです。
posted by 某研究者 at 19:39| 東京 ☀| Comment(0) | 観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

とり奉行 骨付じゅうじゅう」着ぐるみ完成

「とり奉行 骨付じゅうじゅう」着ぐるみ完成

以前から公募してきた「骨付き鳥」のマスコット・キャラクターが決定しました!

「とり奉行 骨付じゅうじゅう」と云う名前で、着ぐるみも完成したようです。

関連記事は四国新聞社のホームページをご覧下さい。
「とり奉行 骨付じゅうじゅう」着ぐるみ完成

「骨付き鳥」って何?
丸亀市の「骨付き鳥 一鶴」が最初に始めた鶏の片足を香辛料で味付けし、焼くと云うより油で揚げるような感じの料理です。
そして千切ったキャベツを乗せたステンレスの皿も付いてきます。
そのキャベツを時々囓りながら、ビールと一緒に食すと最高に美味しいです。

丸亀市のホームページはこちら
骨付鳥を全国にPR 「全力鶏プロジェクト」進行中

このゴールデンウィークに「讃岐うどん巡礼」も兼ねて四国にいらっしゃいませんか?

楽天トラベルの香川県宿泊施設案内ページです。
ラベル:骨付き鳥 丸亀市
posted by 某研究者 at 18:10| 東京 ☀| Comment(0) | グルメ商品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

医専って・・・懐かしい単語ですよね?

医専って・・・懐かしい単語ですよね?


4月23〜28日NHK放送の朝のドラマ『梅ちゃん先生』「ヒポクラテスの乙女たち」で、ようやく女医になるドラマだったんだと気が付きました。

「医聖ヒポクラテス」は紀元前460年頃にギリシャのコス島で生まれた実在の人物で、それまでのギリシャの迷信や呪術的な医療を経験科学的な根拠に基づく医学に発展させた偉大な方です。

話がずれてしまいましたね?梅ちゃん先生は医学専門学校へ入学して、彼女は学士号(大学卒業の学位)を持たない医師になるわけです。
架空の城南女子医学専門学校は・・・きっと私学なので東京女子医学専門学校(現在の東京女子医科大学)か帝国女子医学専門学校(現在の東邦大学医学部)になるのかな?と思っています。
現在は医学士を持った人のみが医師国家試験を受験出来ますが、当時は医学専門学校を出た人にも国家試験の受験資格が認められていました。

そう言えば・・・私が尊敬する漫画家の手塚治虫医学博士も医学士の学位号を持っていません。先生は大阪帝国大学(現在の大阪大学)附属医学専門部を卒業なさって医者になりました。
奈良県立医科大学に電子顕微鏡が導入された際に、その顕微鏡写真を撮れる機器も技術も当時の日本にはなく、その画像をスケッチとして描くのが通常でした。
医学校時代の友人から、このスケッチを描くように頼まれて、手塚先生は県立奈良医科大学に赴く事になります。
先生は電子顕微鏡を自由に使え、その画像のスケッチが出来る当時の日本では唯一の医学研究者になりました。
先生の博士学位取得論文名は、「異形精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究」(タニシの異形精子細胞の研究)で、実は電子顕微鏡を使った研究の成果を大学が高く評価して授与した博士号だと言われています。
先生の作品「ブラック・ジャック」には多くの医学的な絵が載せられていますが、東大医学部生から「でたらめな絵を描くのはやめたら?」と言われていたそうです。
しかし、本来の先生の専門は外科で博士論文の対象は基礎生物学なので・・・どちらが正しいのか疑問に感じています。

学生の頃に新幹線に乗っていると、多くの人から「手塚先生?」って言われた事が嬉しく懐かしく思い出します。
当時はダブルの背広に、バスク・ベレー帽を被っていましたので、ちょっと見には憧れの手塚先生に似ていた風貌だったのかも知れません。
手塚先生の影響からか?宝塚歌劇のファンになってしまい、最近でこそ観劇しませんが、「リボンの騎士」を思わせるあの雰囲気が好きになっています。
それから、以前住んでいた家の隣の歯医者のお爺ちゃん先生・・・・彼は医学専門学校ではなくて歯学専門学校を出た歯医者さんだったことも思い出し、丁寧な治療だったと懐かしく思い出しました。

「梅ちゃん先生」から話がずれましたが、医学専門学校の話題から昔の懐かしい思い出や手塚先生の事を思い出しました。
posted by 某研究者 at 15:41| 東京 ☀| Comment(0) | 閑話休題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月22日

韓流ドラマにはまってしまったようです。その1

韓流ドラマにはまってしまったようです。その1


ふとした切っ掛けから韓国の歴史ドラマ薯童謡『ソドンヨ』を途中から観るようになって、韓国の歴史ドラマを興味深く観るようになってしまいました。

それは、私の長編考古学小説「遙かなる大空」と、その一時代を切り出して描いた「浦島太郎って誰?」、「屋嶋の禿げとその兄達」に関係する歴史舞台がそれらのドラマで描かれていたからです。

先ず「薯童謡『ソドンヨ』」から・・・。
このドラマの主人公は、百済王国の30代 武王 (ムワン)になります。
そして百済滅亡の時の王が、この武王の嫡男である最後の百済王 義慈王(ウイジャワン)で、私の作品「遙かなる大空」の「四 古城(西暦660年夏、百済滅亡)に登場しますが、主人公をその百済の将軍 黒歯常之(フクチ・サンジ)に据えて描いています。

「遙かなる大空」の内容を少しだけ;

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
唐の蘇定方左武衛大将軍

 都に着くと黒歯が思っていたより都城は破壊されておらず、家々は黒歯が城を離れた時のそのままであった。
 義慈王は都城が攻められる前に熊津に逃れたが、その地で唐軍に捕らわれて降伏に至ったとの事であった。
 一方、王が都を見捨てたため将兵は防御する対象を失い、唐の軍勢が到達した時にはほぼ無血開城となったのである。

 黒歯が後から知った事になるが、都城を捨てて北方の熊津に逃げた王は、后や王子達と共にその地で降伏すると唐軍に捕らえられしまう。彼らは直ちに唐の長安に送られて、そのまま長安で王は病に倒れ、亡くなってしまったとの事であった。

 黒歯は降伏した時から、捕虜としての待遇が遙かに良遇されているのが、不思議であったが、その理由が直ぐに判った。
 蘇定方の副官と名乗る者が、黒歯のところまで来て、平伏して告げるのだった。
 「黒歯将軍殿、我らが将の蘇定方が貴官にお目に掛かりたいとの事で、是非とも宮殿までお越し願いたい。」
 黒歯は、訝しく思いながらその副官に尋ねた。
 「左武衛大将軍の蘇定方殿が?私の様な者に?」
 副官はその言葉に立ち上がり黒歯に微笑んで言った。
 「是非とも、共に一献傾けたいとの事です。」
 黒歯は信じられないと云う顔をしながら、
 「直ぐに参るとお伝え下さい。」

 宮殿で待ち構えていた蘇定方は、黒歯を見ると飛び付く様にして駆け寄り、
 「貴官が達率兼風達郡将の黒歯常之将軍殿か?良く参られた!初にお目に掛かる。私は蘇定方と申す者。宜しくお願いしたい。」
 黒歯はそんな蘇定方を見て、身を屈めながら口を開く、
 「左武衛大将軍、蘇定方殿ともあろう方が、敗残者の私などを召し出すとは?如何成されましたか?」
 黒歯が身を屈めるので、蘇定方も慌てて身を屈めて言うのだった。
 「我が唐にまで伝え聞く、名将の誉れ高き黒歯常之将軍殿に、この地で相見える事が私の願いで御座いました。この都度の戦いの中でご落命成さなければと、常に案じておりました。こうして相見えられる事をとても喜んでおります。さぁ是非、是非とも一献召され。」
 黒歯は蘇定方からの杯を訝りながらも受けるのだった。
 「忝ない!しかしこの様な接遇・・・まだ合点がいきませぬな。」
 杯を飲み干した蘇定方は、黒歯の目を見据えながら、
 「では腹を割ってお話致す。貴官を我が唐の将軍としてお迎え致したい。その腕を存分に広き我が国で発揮されて戴きたい。如何かな?我が国に来られる気はお有りか?」
 蘇定方の思いもしない突然の申し出に、驚きながら黒歯は躊躇わずに答えるのだった。
 「それは大変光栄な事で御座るが、この地を離れる気は毛頭御座りません。」
 黒歯のその様な返答に心落ちしながら、蘇定方は黒歯に言うのだった。
 「無理にとは申さぬが、お心置き下されば幸いです。」
 暫く二人とも黙り込んでしまう。


ご先祖

 蘇定方はこのまま黒歯を返す気配が無い。
 「以前から黒歯将軍殿にお伺い致したいと思って居た事が御座る。宜しいか?」
 黒歯はこの上に何を話したいのかと訝りながらも、
 「何なりと!」
 と一言だけ答えた。
 「我が唐では、貴官のご先祖は遙か昔に倭国に渡り、その地で国を興したとの噂が在る。それは本当の事なのかを伺いたい。」
 蘇定方の質問に、そんな事に興味が有るのかと思いながら黒歯は答える。
 「確かに遙か昔、我が国が三韓時代だった頃に、我が先祖が倭国に赴いたことがあったと教えられている。」
 と言うと、蘇定方はやはりと云う顔になり、
 「では、貴官はかの大國主命に付き従って倭国に渡った弁韓国人の末裔で御座るのか?」
 と込み入った事まで知っているらしく、詳しく聞いてきた。
 「然り!我がご先祖は大國大将軍に付き従い倭国に渡り、その後に吉備の国に赴かされて、そこで城を築城して新たな国を興したと聞いている。」
 と子供の頃から教えられて居る事柄を、蘇定方に話し始めた。
 蘇定方はこの話に興味深く思ったのか、
 「では、日本王の・・・確か・・孝霊天皇(コウレイテンノウ)と云う名の日本王の王子で、吉備津彦命(キビツヒコノミコト)に、貴官のご先祖の国が攻められたのでは無かったのか?」
 と、さも蘇定方が見てきた様に話した。
 そこまで知っていて他に何を聞きたいのかと思いながら黒歯は答える。
 「あぁ、あの戦で我が祖先は韓半島に戻る事になったのだ。」
 いい加減にこれ以上話をしたくなくなり、黒歯は素っ気なく答えてしまう。
 蘇定方はその時のことをどうしても聞き質したかった。
 それは、その時の戦では温羅と呼ばれた弁韓国人達は、大和朝廷から全滅させられたと聞いていたからである。
 「済まぬが、もう少しだけ伺わせて戴きたい。宜しいか?」
 蘇定方のその態度に黒歯も仕方が無いと腰を据えて答えることにした。
 「何なりと申されよ!」
 黒歯の言葉に力付けられたように蘇定方は質問する。
 「あの時の戦いは、当時の我が国にまで伝わるほどの大きな倭国での戦。我らが知る範囲では、貴官の兵も民達も倭人に全て殺されたと聞いている。」
 この言葉から、黒歯は自分がどうしてこの百済に居るのかを、蘇定方が知りたがっていると判った。
 しかしこの事は黒歯の一族にとって話したくない事柄だった。
 それは、あの鬼ノ城での戦いの最中に、黒歯の先祖は兵や民達を打ち捨てて、この韓半島に逃げ帰って来たからである。
 しかし、蘇定方がどの様に思うか判らないが、彼は先祖から聞いた事を話す気になった。
 「確かにあの時、我が先祖はあの城の将軍として、また国を束ねる王として鬼ノ城に居た事は事実である。そしてあの戦いの時に吉備津彦命の軍勢に攻められた事も事実だ。」
 と苦渋に満ちた顔で話し始める。
 「我らは鬼ノ城に民達と共に籠城する事となり、倭人達の軍勢に城は包囲されてしまった。」
 「長期間の籠城が始まり、お互いの持久戦に陥る事になった。それは正面衝突で主力同士が戦うと、多分両軍とも甚大な被害が出ると双方共に恐れたからだ。」
 「そんな時、不思議な事に城の直ぐ下を流れる大きな河の軍港に敵兵の姿も見えず、そして軍船が一艘だけ焼かれずに残っているのを我らの副官が見つけた。当時は海が城に近くにまで迫っていて、その河から直ぐに海に出られる地形だったと聞いている。」
 蘇定方は黙ったままじっと目を瞑り聞いていた。
 「副官はその一艘だけ残された軍船が、我が先祖にここからこの軍船で脱出せよとの、吉備津彦命の勧めだと感じたらしい。」
 「我が先祖は勿論のこと、副官からの城からの脱出の進言を聞き入れなかったと聞く。しかし最終的に我が先祖は城も自分の兵も、そして大事な民までその城に残してこの国に舞い戻ったと教えられている。」
 蘇定方はこの時になって納得した様に口を開いた。
 「黒歯将軍殿、その様な経験が在ったからこそ、貴官は国の民を守る気持ち、そしてご自分の兵達を大切になさるお気持ちが強くなられて居る訳ですな?」
 その言葉に絶句した黒歯だったが、暫くの沈黙の後に、
 「そうかも知れませんな。我が先祖はそれからは人が変わったように民達を慈しみ、兵達を自分の弟のように可愛がる様になったと聞いている。」
 「その事から、我ら子孫は物心が付いていない時から、将として一番大事なことは何かを考えさせられ、それを実践するように教えられております。」
 今回の降伏の時も自らの命を投げ出して兵達の命乞いをした黒歯に、唐の将軍達は心から敬服していたが、その原動力が大昔の倭国の戦がその由来だと判った蘇定方は、感慨にふけるのだった。

 ふと感慨から我に戻った蘇定方は、もう一つ聞きたい事が有るのを思い出す。
 「黒歯将軍殿。あと一つだけお伺い致しても宜しいか?」
 丁寧な言葉で尋ねる蘇定方を無下に断れない。
 「何をお話致せば宜しいのか?」
 黒歯が拒否する態度も見せずに返答するので、蘇定方は尋ねる。
 「今回この都城を見捨てて逃げ出した義慈王と貴官は親戚だと聞いているが、その事の真偽は?」
 黒歯は答えても問題が無いと考え、
 「確かに義慈王と私は親戚で、それも近い血筋になります。それが?」
 黒歯がその質問に疑問を感じているのが判った蘇定方は、
 「いや、貴官と違いその義慈王は、先の新羅の大耶城を攻撃した折りに、降伏してきたその城主や妻子共を全員斬首したと聞いた。」
 「貴官と違い、敗残者に対して思いやりの無い事をする王だと、唐国内では問題になっていたのだ。降伏した者を斬首するのは如何なものかと・・・。」
 その様な事まで唐には知られていたのかと、黒歯は恐れながら、
 「いや、その時に派遣されて城を攻撃したのは我らが允忠将軍であり、義慈王はその斬首とは関わりが無いと聞いているが。」
 蘇定方は、黒歯が義慈王を親類なるが故に弁護している様に思えたが、敢えて反論する事をしなかった。

 蘇定方は思い描いていた黒歯の偶像と、目の前に自分と対面して居る黒歯の実像との差が無いのを喜んでいた。
 そしてどうしても自国の将軍になって貰い、唐の国のために働いて貰わなければと思い込みが強くなっていくのだった。

 黒歯は捕虜収容所に戻された。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遙かなる大空」の一部ですが、「この文章のどこが考古学?歴史学ではないの?」と疑問に思われていらっしゃると思います。
この文章では百済滅亡時の時を描いていますので、どうしても歴史学の話になっていますが、他の章では三韓時代の弁韓国から当時の倭国(日本)に渡来した集団を描いたり、彼らが時代毎に周りの倭人(日本人)と交流や争いを繰り返していた事に触れています。
「遙かなる大空」の主人公は、考古学好きの無線工学の研究者と、香川県高松市に在る古代韓国式築城法に依る「屋嶋ノ城(ヤシマノキ)」へ韓国からセミナー旅行で訪れた考古学者の卵とが出会い、次第にお互いを気にしながら結婚に至ると云う筋書きです。
どうして彼らがお互いに好意を持ってしまうのか・・・それを考古学的な説明を伴いながら描いています。

それぞれの韓国の歴史ドラマに沿って、その歴史背景とそれに合わせた私の作品を少しだけご案内致したいと思います。
posted by 某研究者 at 16:28| 東京 ☁| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月20日

誕生日(生まれた日)が4月20日の人々

誕生日(生まれた日)が4月20日の人々

1808年4月20日  ナポレオン3世 (Napoleon III) 【政治家】 〔フランス〕

1889年4月20日  アドルフ=ヒトラー (Adolf Hitler) 【政治家】 〔ドイツ〕

1893年4月20日  ジョアン=ミロ (Joan Miro) 【画家】 〔スペイン〕

1937年4月20日  ジョージ=タケイ (George Hosato Takei) 【俳優】 〔アメリカ〕

ジョージ=タケイは日系アメリカ人で、テレビドラマ「宇宙大作戦」のエンタープライズ号の航海士の「加藤」役になっていたことで有名な俳優です。
勿論、映画のスタートレックでも、同じ配役で出演していました。

上記の人々を考察してみると・・・・ヒトラーやナポレオン3世・・・あまり良い人が生まれた日で無いような感じがしています。
でも、私もこの日に生まれた一人です。
ラベル:誕生日
posted by 某研究者 at 15:12| 東京 ☁| Comment(0) | 閑話休題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

四国遍路ではなくて讃岐うどん巡礼にいらっしゃいませんか?

四国遍路ではなくて讃岐うどん巡礼にいらっしゃいませんか?

このゴールデン・ウィークも多くの方が「うどん巡礼」で讃岐の国へお越しになると思います。
私達讃岐人は、休日毎のうどん屋を囲む長蛇の列に恐れをなして近づけません。
遠くからいらっしゃる方達が美味しい讃岐うどんを召し上がられますように・・・。


讃岐の人気者お婆ちゃん「るみばあちゃん」はうどん屋のお婆ちゃんです。

昔は高松市内でお店をしていましたが、あまりの人気にお店近くで不法駐車が多くなり、結果的に近所迷惑で営業が出来なくなりました。実際に近所迷惑で閉店したうどん屋が多くあります。
そこで郊外へ移動してうどん屋を続けています。

るみばあちゃんの「池上製麺所」のゴールデン・ウィークの営業予定がお店のホームページに掲載されています。お店の所在地もHPで確認して下さい。

るみばあちゃんと池上製麺所


池上製麺所 るみばあちゃんのさぬきうどん15食入※産地直送のため代引き・ラッピング不可池上...



個人的に「田村うどん」も外せません。我が家からちょっと遠いですが、やはり来てしまいます。
お店は・・・・。四国新聞社のうどん遍路の該当ページをご覧下さい。
讃岐の国では綺麗でないお店のうどんは美味しいのが普通です。

たむら


讃岐のうどん田村うどんBOX さぬき半生うどん つゆ付き6食入り【あす楽対応】



このお店を知らない人は居ないと思います。
善通寺の「山下うどん」。
お店はページは四国新聞社のうどん遍路の該当ページをご覧下さい。
私もよく食べに行きます。

山下うどん(善通寺市)


山下 ボックスうどん ぶっかけ 600g(4人前)



映画「UDON]をご覧になりましたか?
もちろん、この「なかむらうどん」も出ています!
一番のお勧めはやはりこのお店!

なかむらうどん(飯山)


映画UDONにも出た有名店の、讃岐うどん生醤油、釜玉うどんセット



うどん巡礼に欠かせないのがこのガイドブックです。
「恐るべきさぬきうどん」で有名な「麺通団」の本です。


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映画「UDON]のDVDはこれ!讃岐に来られる前にぜひご覧下さい。

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上記のうどん屋やそれ以外のうどん屋さんへいらっしゃる時のお勧めの宿泊施設は、下記の楽天トラベルのページから↓

坂出・宇多津・丸亀 のホテル・旅館を楽天トラベルのページから検索・宿泊予約が出来ます。
posted by 某研究者 at 13:15| 東京 ☁| Comment(0) | ご当地名物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月19日

「加藤さん」って日本人を代表する名前なの?

「加藤さん」って日本人を代表する名前なの?

ふと子供の頃に観ていたアメリカのテレビ番組を思い出しました。

テレビドラマ「宇宙大作戦」(1966年 - 1969年)エンタープライズ号の航海士「ミスター加藤」、
スタートレック(1979年)
スタートレックII カーンの逆襲(1982年)
スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!(1984年)
スタートレックIV 故郷への長い道(1986年)
スタートレックV 新たなる未知へ(1989年)
日系アメリカ人のGeorge Hosato Takei(ジョージ・ホサト・タケイ)が、「ミスター加藤」として出演していました。

Star Trek "bloopers tape"

宇宙大作戦 Star Trek TOS Episode1 Prologue~Intro Japanese ver.




グリーン・ホーネット(The Green Hornet)にも、主役のデイリーセンチネル新聞社の社長ブリット・リードの助手が、空手の名手でその名が「加藤」・・・・実にその加藤役はクンフー・スターになる前の「ブルース・リー」が務めていたのをご存知ですか?

リムスキー=コルサコフ作曲の「熊蜂の飛行」をテーマ曲にしたアメリカン・ヒーローのテレビドラマです。

Bruce Lee - The Green Hornet - Kato fight scene 2

Bruce Lee "The Green Hornet" Out Takes

Batman VS Green Hornet with Bruce Lee
日本では有名な「バット・マン」との競演もあります。

グリーン・ホーネット
これは新作ですので加藤=ブルース・リーではありません。
posted by 某研究者 at 14:14| 東京 ☁| Comment(0) | 思い出してみると | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月16日

お邪魔します!僕シーズー犬のジャッキーです。

僕が不機嫌になった原因は?

 今日の僕の日記は、昨日(15日)の記事です。
 丸亀市内の土器山へ連れて行って貰った時のお話です。
 良かったらご覧下さい。


 こんにちは、ジャッキーです。

 昨日の15日は僕はお留守番で、お母さん達は金比羅さん(本当は金刀比羅宮or琴平神社)の奥の院まで桜を観ながら山登りに行く予定でした。
 (本当は一昨日はお母さんが僕をお留守番させると言って)お母さんが僕がお留守番になるのが可哀想だと言って、急遽行き先を変更してくれました。

 日曜日の朝、行き先も教えられずに僕は拉致られて車に・・・。

 車が走り出して、
 「今日はどこへ連れて行って貰えるのかな?」
 僕は後ろの座席でキョロキョロとしながら考えていました。
 僕のベッドが載っていないし・・・僕のお水やお弁当も無いし・・・
 「お兄さんの所へは先週行ったし、お姉さんの所は先々週・・・お爺ちゃんのお墓参りは三週前だったから・・・??」
 僕は座席で座って首を傾げていました。

 僕が一生懸命に行き先を考えていると、車が停車したのです。
 「下ろして!」
 僕はちょっと早いなぁと思いましたが、用足しもせずに車に乗せて貰ったので、お散歩をさせて貰うつもりになりました。

 車から出るとそこは・・・・青野山(土器山)墓地公園でした。

 僕は遠くのお兄さんのお家かお姉さんのお家へ行けるものだと期待したのに、お婆ちゃんのお墓参りだなんて・・・。
 僕はブス!とした表情のままお婆ちゃんのお墓へ連れて行かれます。
 下ろされた墓の前で不機嫌なまま座っていると、
 「今日はどうしたの?お婆ちゃんのお墓の前で居て・・・。いつもはお婆ちゃんのお墓はこれと違う!って言いながら他のお墓の所へ行ってしまうのに・・。」
 と、お母さんが呟いています。
 僕はお婆ちゃんのお墓を探す元気もなくなって、不機嫌な顔で立ち上がり、ちょっとだけ移動して座り込みました。

s-201204151.jpg
お婆ちゃんのお隣のお墓の前で座る僕

 近くでお母さんがどこかのお墓を掃除してから、お花を献じて居ます。

 一通りの事が済むと、お父さんが僕を抱き上げて車に戻ります。

 「墓地公園の吉野桜は殆ど散ってしまいましたね?ボタン桜がもう少ししたら咲きそう!」
 お母さんが周りの木を見ながら言っていました。

 僕は行き先が期待していたところと違ったので不機嫌なままです。

 車はお家に帰らずに墓地公園が在る山を登り始めました。
 「山頂は桜が残っているかしら?」
 お母さんが期待した声でお父さんに話しています。
 僕は後ろの座席でブス!・・・・。

 暫く車に揺られて頂上の直ぐ下に在る駐車場へ。
 そこは多くのワンコの声が聞こえてきました。
 僕は下車拒否!!

 仕方なくお母さんとお父さん二人だけ車から降りて行きます。

 この青野山(土器山)は、昔の弥生時代から古墳時代の頃まで土器を作っていた山だそうです。
 ですから墓地の近くには登り窯跡の遺跡や古墳も幾つも点在しています。
 勿論、山頂周辺にも古墳が多く在るそうです。

 お父さんが書いた香川県高松市の屋嶋の屋嶋寺に祭られている太三郎狸をテーマにした歴史小説「屋嶋の禿げとその兄達」に描かれている舞台の一つがこの土器山です。

s-201204152.jpg
 これは城山の城(キヤマノキ)と云う古代韓国式山城が在った山です。これも「屋嶋の禿げとその兄達」に描かれている舞台の一つです。

s-201204153.jpg
 山頂駐車場の直ぐ下の桜です。

s-201204154.jpg
 飯野山(讃岐富士)で、これも「屋嶋の禿げとその兄達」に描かれている舞台の一つです。

s-201204155.jpg
 遠くに霞んでいますが、金比羅さんの在る山で、象頭山(ゾウズサンor大麻山)と云う山です。これも「屋嶋の禿げとその兄達」に描かれている舞台の一つです。

 場所を移動して瀬戸内海が見えるところへ。

s-201204156.jpg
 瀬戸大橋が霞んで見えています。

s-201204157.jpg
 ここは海上保安庁の「備讃瀬戸海上交通センター」です。
 タワーが建っていますが、これは「ゴールドタワー」と云う名前で最上階に展望台も在るそうです。
 そのタワーが突き刺さっている島が、塩飽水軍の本拠地「本島」です。

 ここ土器山は青ノ山(別称は土器山)標高224mで、青ノ山窯跡や青ノ山古墳群(古墳時代前期から末期にかけての古墳が10数基も確認されています)などが在って考古学的に貴重な遺跡群です。

 僕は不機嫌なまま車に居座っていました。

 車が再び動き出すと、暫くしてお家に戻ってしまいました。

 お昼ご飯も済んで、僕は自分のベッドでふて腐れていると・・・。
 お母さんのお兄さん家族(僕の叔父さん家族)が訪ねて来ました。
 いつもだったら、尻尾が千切れるほど喜んでお迎えをするのですが、この日だけは僕は不機嫌なままで叔父さん達を無視しています。

 「ジャッキーちゃんはどうしたの?」
 って言いますが、僕はふて腐れたままで居ました。
 叔父さん達はずっと話し掛けてくれましたが、僕は無視を守ります。

 結局、一度も相手をせずに叔父さん達はお家に帰って行きました。
 でも・・・従兄弟のパグ犬のバロン君に会いたかったなぁ〜〜と残念に思いました。

 今日はこれまでのように遠くへロングドライブだと思って喜んだのに、近くだったので面白くない一日になってしまいました。

代筆者:お父さん


こんな感じで僕の日記を更新しています。
 僕の日記は下記の僕のSeesaaのブログでご覧になれます。
亀山築城の仕事部屋(時々私の本の紹介)

 僕の日記は下記の僕のホームページでもご覧になれます。そして他の話題も載っています。
亀山築城の城

 そして僕の日記で使っていない写真はこちらからご覧下さい!
2012年 4月シーズーの愛犬ジャッキー写真集
posted by 某研究者 at 18:53| 東京 ☀| Comment(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月15日

我が青春の時を懐かしく思い出して(オーケストラの少女)

我が青春の時を懐かしく思い出して(オーケストラの少女)

皆様は大昔の白黒の映画を御覧になられた事が御座いますか?
私は映画少年でしたので、勿論のこと多くの映画を見てきました。(実はラジオ少年、無線少年、鉄道少年でもありましたが・・。)
私はミュージカル映画をよく観ていました。下記の作品は「総天然色(昔はカラー作品をこの様に呼んでいました。)」です。
「サウンド・オブ・ミュージック」
「ソング・オブ・ノルウェイ」
「チキ・チキ・バン・バン」
「メリー・ポピンズ」
などなど。

東日本大震災で、日本全国が落ち込んで居る時、また失業なさっている方々や、一生懸命に努力なさって居られるのに認められてない方々に是非この映画を見て戴きたいと思います。

「オーケストラの少女」

最初にこの映画を見たのは小学校の時でした。
この頃はクラッシクもそれほど聴いていなかった時期なので、綺麗な曲が世の中には有るのだと思いながら見ただけです。

二回目が中学生の頃で、この時も失業している楽団員の境遇がそれ程身近に感じませんでした。
しかし、この時期から本気になって音楽(声楽)をする気になったと思います。

三回目が大学生の頃で、昔の白黒のメドレー企画の映画館があって、チャーリー・チャプリンの作品を始め、懐かしい映画が連日上映されていました。
その中にこの作品も当然の如く入っていた訳です。
その頃、私は元の某放送合唱団の団員で、自分達の演奏会の為にチケット売りをしたりしていましたので、何となく彼らの境遇に共感したのを思い出しました。

それ以降は数えられないほどこの映画を観ていますが、やはり名作の一つだと思います。

実は今日も朝から、ティッシュ片手に久し振りに観てしまいました。
アナログテレビを、ビデオ再生専用にする為に移動して、セッティングの後に観たのが、この映画のビデオです。
どういう訳か、モーツァルトの「ハレルヤ」の場面で涙を流し、「ハンガリアン・ラプソディ」の場面でも涙涙の連続・・・。
そして最終場面の「トラビアタ」の場面では映像をまともに見れないほどの感動の涙でした。

私は子供の頃からなりたい事が沢山ありました。
画家の親戚から物心付く前から絵筆を握らされ画家に憧れた事も、そして声楽家の先生に付いて声楽を習って音楽家に・・・。
そして小学校の二年生の時に読んだハイエルダール博士が書かれた「コンチキ号漂流記」に刺激されて考古学者にも、他には火山学者、古生物学者・・・・。
結局、父が旧海軍の軍属の機関技師だった関係で、工学系に進みました。

研究所を辞めた今、研究所と云うバックボーンを持たない自分は、この映画の失業した楽団員にとても共感を感じてしまいます。
また、一時的にせよ合唱団員だった自分は、この映画のように音楽家のほんの一部しか表舞台に立つ事が出来ないのを良く知っています。
奇しくも、この映画の台詞に「君たちがどんなに優れた演奏技術を持っていたとしても、無名では価値がない。誰でもが知っている有名な指揮者と一緒に演奏するのだったら、客が来るだろう。」
この台詞は、芸術系だけでなく工学系でも、一般社会に通用する事かも知れません。
そう言えば、少し前にヒットした「送り人」の主人公も、しがない楽団員で交響楽団の閉鎖に伴って失業した話でしたね?その原作者の方の小説も長い間、その作品が売れなかったと聞いています。
こんな書き方をすると、「努力だけでは駄目!有力なコネが無いとどうしようも無い!」と読めてしまうかも知れません。
映画の中でも、名指揮者レオポルド・ストコフスキーが彼ら失業中楽士達の実力を認めて、彼らの楽団を指揮する事になったのです。
しかし、努力を重ねて自分自身を懸命に磨き続けたら、きっといつの日にか世に認められるのでは無いかと思っています。


この映画では主人公のディアナ・ダービン扮する「パシィ」が、失業中のトロンボーン奏者の父親の就職口を探して、名指揮者のレオポルド・ストコフスキーに何度も働き掛けて、やっと自分達が作った失業楽団員の指揮をして貰える様になる展開の映画です。

それから、この映画は当時の世界最高の名指揮者レオポルド・ストコフスキーと実在のオーケストラであるフィラデルフィア管弦楽団が出演している事でも話題になった映画です。


簡単にあらすじを紹介して、ロシア語版ですがその場面のyoutube の映像データリンクを挟んで置きます。
ロシア語が大きな声で、本来の英語の台詞が聞き取りにくいですが、どうぞご覧下さい。



One Hundred Men and a Girl 1

レオポルド・ストコフスキーが指揮する、チャイコフスキーの第5シンフォニーの演奏会。
その舞台袖に隠れて演奏を聴いているのが、「パシィ」の父親のジョンの姿でした。
彼は、名指揮者ストコフスキーに楽団員に加えて貰おうと、楽屋裏に潜入して居るのでした。
演奏が終わってストコフスキーに入団の依頼をしようとするが、しかし、コンサートホールの管理人に見付けられて追い出される羽目に・・・。

外に追い出された彼は、目の前で婦人が落としたハンドバッグに気が付く。落とし主を捜すが判らない。
仕方なく、そのまま持ち帰るが、帰宅するとアパートの大家さんから、「明日こそはアパートを出て!」と通告されてしまう。
ふと、彼はあのハンドバッグから金を抜き出すと、滞納した家賃を支払ってしまった。
「このお金は?ストコフスキーに認められたのね!」と、嬉しそうに騒ぐ大家に否定しようとした時、娘のパシィが部屋から出てきて大喜びを始める。



One Hundred Men and a Girl 2

仕方なく、彼は娘を連れて自室に戻り、事訳を話そうとするが出来なかった。

アパートの住人達が祝いの席を設けて彼を祝福する。

ジョンは娘に楽団の演奏練習に向かうと言って家を出るが、いつものホールに行った。
パシィは父親の練習風景が見たくなって、演奏会場に潜り込むが、そこには父親に姿が無かった。

娘は、父親のおかしな態度に気が付いて「あのお金は?」と説明を求め、父親はボソボソと話してしまう。
パシィはそのハンドバックを受け取って、持ち主を捜して返しに行く。
社交界のパーティにその婦人は居た。



One Hundred Men and a Girl 3

パシィはそのハンドバックを返すが、「返す褒美に52ドル10セントを貰いたい」と申し出る。
「おかしな事を言う子ね?」と言いながら、その夫人はお金を支払うが、「それをそのまま貴女にお渡しします。」と言って受け取らない。
「どうして?」と聞かれたパシィは、「実はお金を少し使ってしまいました、それにここまでのタクシー代も・・。失礼します。」
そこから去ろうとするパシィを呼び止めた婦人は、パーティーに一緒に加わるように勧めた。

自己紹介して、自分の父親が失業中の楽士で、その父親から声楽を習っていたと聞いた婦人は、彼女に一曲歌うように頼む。
頼まれたので歌うと大きな拍手が・・・。
パシィは失業中の楽士は父親だけでなく、多くの楽士が仕事がないと訴える。
一人が「だったら楽団を作れば良いだろう!」と答えた。
実業家婦人に「私が楽団を作ったら、スポンサーになって頂けますか?」とパシィは頼み込む。
「貴女が楽団を作ったら、スポンサーになってあげるわよ!」と答える婦人。

喜んで父親の元へ走るパシィ。
楽士の仲間を集めて良き話を伝えるが誰も信用しない。
そこで、実業家婦人に電話を掛けて、その話が本当の事だとみんなが理解する。

百人の楽団員が集まって、ガレージを借りて練習が始まった。

パシィは実業家婦人の所へタクシーに乗って向かうが、ヨーロッパ旅行へ出掛けて留守。
そのタクシーの運転手は運転しながら歌うのが好きだが、物凄く下手。



One Hundred Men and a Girl 4

そこで主人の実業家の所へ行くと。
実業家はパシィの願いを悪友の悪戯と勘違いして、スポンサーになる事を了解する。
しかし、この事が悪友の悪戯でない事が判った実業家は慌てて楽団員が練習しているガレージに向かう。

実業家は楽団員に「私は儲からない事には金を出さない主義だ!」とスポンサーになる事を拒否する。
そして「君たちがどんなに優れた演奏技術を持っていたとしても、無名では価値がない。誰でもが知っている有名な指揮者と一緒に演奏するのだったら、客が来るだろう。」と口走りました。
それを聞いたパシィは再びタクシーに乗って、ストコフスキーが練習している練習会場に向かって忍び込みます。



One Hundred Men and a Girl 5

名演奏につい拍手を。
コンサートホールの管理人を呼ばれて、追い出されそうになるが、ストコフスキーの事務所に逃げ隠れた。
その時事務所の電話が鳴り始める。
電話の受話器を外すが、大きな声に出てしまい、新聞社の編集長とは知らずに話し始めたパシィ。
編集長から「ストコフスキーがヨーロッパに出掛けるそうだが。」と言われたパシィは咄嗟に「ストコフスキー先生は、失業中の楽団員の指揮をするのでヨーロッパへは行きません!」と答えてしまう。
編集長は特ダネを聞いたとして、直ぐに号外と新聞の印刷を指示する。



One Hundred Men and a Girl 6

そのまま隠れて居るとストコフスキーのマネージャーが入って来て、また追い出されそうになる。
ここで待って居るように言われたパシィは、マネージャーがステージに行った隙に、事務所から逃げ出す。
ステージではモーツアルトの「ハレルヤ」の演奏が始まる。
パシィは二階の客席から「ハレルヤ」を歌い出してしまう。
ストコフスキーも楽団員も吃驚して歌声の主を捜す。
彼女は歌い続ける。
ストコフスキーもそのまま彼女の歌声を聴きながら指揮を続けた。

演奏が終わり、指揮者台、ステージから下りたストコフスキーは
「とても言い声をしている。良い声楽の先生に習っているのだね?」とパシィを褒める。
「はい、私の父から声楽を習っています。」とパシィ。
「とても素晴らしい音楽家のお父さんの様ですね?」
ストコフスキーから褒められたパシィは、
「私の楽団には他にも優秀な演奏家が居ますが、みんな失業中です。」
パシィがそう言うと、楽団員達が一斉に笑い出した。
「笑うなんて失礼でしょう!」と怒り出す。
ストコフスキーはみんなをたしなめる。
パシィがストコフスキーに、
「私の楽団の指揮をして頂けませんか?」と頼み込むが、
「私はヨーロッパへ行って、他の楽団の指揮をする予定が有るから・・・。」と断られてしまう。
「いつお帰りになられますか?」とのパシィの問いに、
「半年後になる。」
パシィは落胆してコンサートホールから出て行く。

外ではパシィの歌を聴いたタクシーの運転手が待ち構えていた。
「お嬢さんの歌は綺麗だったね!魂を持って行かれるってこんな事を言うのだ。」と褒めちぎる。
「さっき、俺の歌が変だと言うのも判る。あんなに綺麗な歌は聴いた事がない。」
タクシー代のお金が無いと言うパシィに家まで送ると言った運転手。

アパートに帰ると、心配していた父親とフルート演奏者が待って居た。



One Hundred Men and a Girl 7

パシィは自分の部屋に入ると泣き出した。
「お父さんの誕生日には七面鳥を・・・毎日豆ばかりの食事なんか、もうイヤ!」

その頃、巷ではストコフスキーが失業楽士を指揮すると号外が配られている。

かの実業家が、その記事を読んで、編集者に抗議すると言い出すと、同席している悪友の実業家達が、興味を示す。
「それじゃ、その公演する権利を譲って貰えるか?」と悪友の一人が。
「もちろん、こんな事に金など使えるか!」実業家は答えた。
「それを貰った!」と一人が言うと、もう一人が「イヤ、私が貰う!」と言い争いを始めた。
これは儲け話だと思った実業家は密かに部屋から出て行った。



One Hundred Men and a Girl 8

電話で新聞社の編集長に記事を確認したパシィは、自分がその発信源だと思い当たる。
そこへ実業家が現れて、「3000ドル出すから契約しろ」と小切手を切ると去って行った。
喜んだパシィの楽団員は、パシィを机の上に上げて讃えようとするが、パシィは「今回の事は私が起こした事です。」とみんなに伝えた。

ストコフスキーの自宅を訪問した実業家は、ストコフスキーが失業音楽家の楽団の指揮をする、その意思が無い事を知り「訴えてやる!」と言って退去する。
その後に、ストコフスキーの邸宅に忍び込むパシィとその楽団員・・・。
ストコフスキーは自室で、J.S.Bachのトッカータとフーガ ニ短調を弾いている。



One Hundred Men and a Girl 9

懸命にピアノを弾いていたストコフスキーは、部屋に入って来たパシィの姿がピアノに写ったのに気が付いて振り返る。
「来ては行けない所にばかりに来る子だね!これには何か理由が有るのかい?」
「ええ!理由があります!その理由を聞いて頂けますか?」
パシィの答えに頷くストコフスキー・・・。
「こちらへ来て下さい!その理由はこちらです!」
「一、二、三、四」と叫ぶパシィ。
ストコフスキーがパシィを見ていると「ハンガリアン・ラプソディ」の演奏が始まった。
困惑したストコフスキーが「止めるように!」と言いかけるが、階段ホールまで進むと、一階、二階、三階とそれぞれの階段一杯の楽団員が自分を見詰めて懸命に演奏している。
演奏を聴いている内に、無意識に右手が動き始める。
そして演奏に合わせて、指揮を始める。
最初は不安そうな表情で演奏していた失業楽団員も、指揮を始めたストコフスキーの姿に笑顔を浮かべて演奏を続けた。

また町に号外が・・・。
「今晩、ストコフスキーが失業音楽家を指揮する」と・・・。

演奏会・・・・
演奏が終わり、スタンディング・オベーションと割れんばかりの拍手。

「私とこの楽団員に幸せをもたらせて呉れた功労者が居ます。」
ストコフスキーは観衆にパシィを紹介する。
「パシィ、皆様にご挨拶を。」
「え!私が・・・」
「そう!挨拶して」
「紳士、淑女の皆様・・・」
「頑張って!」
「皆様・・・・」
突然、二階席から、
「何か歌って呉れよ!」の声が。
タクシーの運転手がウィンクをして見せた。
「判ったわ!」と嬉しそうなパシィ。
「何を歌いますか?」
ストコフスキーが問い掛けると、
「ベルディのトラビアタ」を、微笑んでパシィは告げた。
ストコフスキーは「トラビアタを。」と言って指揮を始める。
歌い始めたパシィ。オーケストラを振り返って父に微笑む彼女。父も娘に微笑み返す。
先ほどのタクシーの運転手は周りの観客に自慢げな顔をした。

幸せそうに歌っているパシィ・・・・。



簡単なあらすじを記載致すつもりが、しっかりと細部まで書き込んでしまいました。
私のあらすじでは感動を得られないと思います。申し訳有りません。

また、ここでご案内した大声のロシア語版の細切れの映像では、これもまた感動を得られないと思います。
下記のDVDで御覧になれば、心温まるこの作品を鑑賞する事が出来ると思います。


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2012年04月14日

我が青春の時を懐かしく思い出して(Cristina y Hugo)

我が青春の時を懐かしく思い出して(Cristina y Hugo)

以前の記事で、私がグラシエラ・スサーナの大ファンだった事を書きましたね?
彼女を知る切っ掛けが、彼女の姉夫妻のクリスティーナとウーゴの演奏会に良く行っていたからです。
でも、グラシエラ・スサーナは演歌じみた歌を歌う変な外人と云うイメージで、最初はグラシエラ・スサーナを毛嫌いしていました。
グラシエラ・スサーナがクリスティーナとウーゴの妹だと知って居たら、もっと早くファンになっていたと思います。

その事を知ったのは、以前の記事で書いた喫茶店のママさんが教えて呉れたからです。
たぶん、その喫茶店に行っていなければ、一生、グラシエラ・スサーナのファンになっていなかったと思います。

前置きが長くなりました。

今回は、大好きだったクリスティーナとウーゴの曲をご案内致したいと思います。
ご存じのように、確か1983年くらいだったと思いますが、日本公演を終えて彼らの国アルヘンティーナ(アルゼンチン)へ戻って直ぐに、交通事故に遭って、夫婦二人とも一緒に亡くなりました。
ソプラノの美しく澄んだ歌声に、寄り添うように控えめなウーゴの歌声・・・。その二人を見る度に理想の夫婦像を見る思いがしました。


Cristina y Hugo - El condor pasa
皆様ご存知の「コンドルは飛んで行く」です。サイモンとガーファンクルが歌ってから一躍全世界で有名になりましたね!本来はインカの地方の民謡から採譜され演奏されていた曲です。



Cristina y Hugo - El Condor Pasa
Cancion Tradicional Peruana Folklore Latinoamericano(ペルーの伝統的なラテンアメリカの民間伝承の歌)
しつこいと思われますね?もう一度「コンドルは飛んで行く」上の演奏よりより民俗色が強い演奏です。



Cristina y Hugo - Cancion del derrumbe indio
「滅びゆくインディオの哀歌」二人のコンサートで必ず歌われる曲です。
スペイン人に征服されたインカの人々・・・彼らの栄えある文明はことごとく破壊され、その誇りまで奪われていきました。
そのインディオの辛い気持ちが唄われています。



Cristina y Hugo - Volvere a los cerros
題名を度忘れしてしまいました・・・直訳すると「丘に戻る」になりますが・・・・



Cristina y Hugo - La vicunita
「ビクニータ」土臭い演奏で、個人的に(血が騒ぐので)大好きな曲です。
ウーゴが弾いているのが「アルマジロ」の甲羅を使った弦楽器{チャランゴ}で5対10弦のウクレレより少し大きな楽器です。
クリスティーナが踊っているのを追っかけている映像の後ろで縦笛を吹いていますが、これは「ケーナorケーニャ」と云う尺八と同じ構造の縦笛です。
その後同じ人が吹いている何本ものパイプを束ねた楽器が「パンパイプ」と云う楽器で、ケチュア語で「シーク」アイマラ語で「アンタラ」と呼ばれている古い形態の楽器です。
インカの民族楽器のアンタラorシークのかすれた音が良いですね!



Cristina y Hugo - Cuando tenga la tierra
「この地が在っても」私の訳なので違っていると思いますが・・・・。
クリスティーナぼ歌声を聴いていると・・・つい目から暖かいものが・・・



Cristina y Hugo - !Ay ,mi amor!
「私の愛」これも私の訳なので、CDなどの曲名と違っていると思います。
仲が良かった二人のハーモニー・・・・先程の曲よりもっと目から・・・。



如何でしたか?おしどり夫婦の美しい歌声は?
懐かしい二人の歌声を聴いていると・・・つい・・・・目から・・・。
私の懐かしい青春時代のシーンが走馬燈のように浮かび上がってきました。
是非、皆様も懐かしい青春時代の思い出に浸って下さい。


アルパ(arpaまたはharpa)と云う楽器をご存知ですか?
竪琴を意味するスペイン語ですが、インカ文化圏では広く演奏されている楽器です。
日本人(ルシア塩満さん)の演奏ですが、「クリスティーナに捧ぐ」と云う曲を演奏しているデータです。
美しい桜の花を観ながら、クリスティーナを思い浮かべています。
皆様も是非お聴き下さい。
「クリスティーナに捧ぐ」 ルシア塩満



話が脱線してしまいますが、美しいアルパの演奏をもう一曲お聴き下さい。
「鐘つき鳥」という題の曲です。鐘つき鳥が鳴いている様子を描いた曲です。
アルパのコンサートでは必ず演奏される名曲です。
鐘つき鳥



私の思い出をホームページで纏めようと思って居ます。ブログでは断片的にしか読めませんが、ホームページでは私の思い出に関した事柄を纏めて読む事が出来ます。
下記のリンクよりお越し下さい。

我が青春の時を思い出して


ところで皆様はネウマ譜(四線譜の楽譜)で書かれたグレゴリオ聖歌をご存知ですか?
私のホームページでネウマ譜とyoutubeのグレゴリオ聖歌のデータをご案内致しております。
下記の「研究者の独り言」のリンクからお越し下さい。

「研究者の独り言」


このページにいらっしゃる方は、グレゴリオ聖歌にはご興味が無いのでは?と思います。
上記のグレゴリオ聖歌はヨーロッパの中世の歌曲ですが、この下のリンクは現代曲をグレゴリオ聖歌風にアレンジした歌ばかりです。
サイモンとガーファンクルの歌やビートルズ等の歌もご紹介致そうと思っております。
下記の「もう一つのグレゴリオ聖歌?」のリンクからお越し下さい。

「もう一つのグレゴリオ聖歌?」


このページにいらっしゃる方は、民俗音楽にはご興味が無いのでは?と思います。
サイモンとガーファンクルが歌って有名になった「コンドルは飛んで行く」、加藤登紀子と長谷川きよしが歌った「灰色の瞳」などをご存知の方もいらっしゃるのでは?
私のホームページで民俗音楽(インカ文明の音楽)をご案内致しております。
下記の「民俗音楽へのお誘い」のリンクからお越し下さい。

「民俗音楽へのお誘い」


インカの音楽より、もっと御存知無いのがその他の地域の民俗音楽では無いでしょうか?
私のホームページでは、インドネシアのバリ島の「ガムラン音楽」とインドのオリッシをご案内致しております。
下記の「世界の民俗音楽のご案内」のリンクからお越し下さい。

「世界の民俗音楽のご案内」
posted by 某研究者 at 12:39| 東京 ☔| Comment(0) | 我が青春の時を思い出して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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